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2004年05月30日(日) 千里中央(救う会)

大阪ブルーリボンの会が主催する、被害者支援集会へ。

明石駅で、友人と合流。帰国後初めての再会だった。近いうちに会おうねと、帰国前から話していたくらいだったが、数日前に救う会に一緒に行かないかなと、本当に軽く誘ってみたところ興味を持ってくれ、今日この機会に再会を果たしたのであった。混みあっている電車内で会話は尽きなかった。

会場は千里中央。ホームで年配の男性に方向を聞かれる。「講演に行かれるんですか?会場はどちらでしょう」と。さすがに、電車から降りたこの大勢の人々は皆講演に来たのだろうか?とおそらくあり得ない推測と同時に、本当にそうだといいのに、と漠然と望んでいた。会場はすでに多くの人々で一杯だった。母の友人で幹事をされている方が、取っておいて下さった席から私たちを見つける。時間があるからと、控え室へ連れて行って下さる。そこで初めて横田さん、有本さん夫妻に会う。座っていたせいもあるが、思っていたより小さく見えた。私には予想もつかないであろう心身の疲れは明らかだった。幹事さんと母は共に顔見知りであるため、挨拶に続けて、両夫妻を極力気遣いながら少しばかり話をしていたが。私は何も言えなかった。言う必要もなかっただろう。「頑張ってください」?彼らは言われなくても頑張っている。「どうか、お体に気をつけてください」と、本当に思いはそれだけだった。

小泉訪朝を「政界史上最悪の愚行」と力強く述べた荒木氏の講演に続き、拉致事件の概要とこれまでの支援活動の様子を含めたビデオ上映、続いて両ご夫妻の講演だった。後に聞いたことだが、今回は訪朝後の家族会への批判もあったせいか、横田滋さん、有本明弘さんは普段より発言をかなり押さえていたという。何か、一歩控えたような口調だと聞いている最中にも感じたことだった。横田早紀江さんと有本嘉代子さんも、実際の声を聞くのは初めてだったが、メディアを通してでは聞えない、娘に対する母親の代えることのできない愛情、突然姿が消え、悲しみだけを残された立場の悲痛な思いがそのまま伝わるのだった。「自分の子供を返して欲しい」望みはそれだけなのに。普通の幸せをも取り戻すことを怠った日本の罪の大きさを、改めて噛みしめた。

本来日本政府が率先して行うべきであるものを、今民間の団体が立ち上がり行動するしかない状況にある。行動するといっても、被害者を力ずくで取り戻すことなどできるはずがない。では何ができるのか。まず無知・無関心からの脱却だろう。自分との関わりの中で、事実を認識し、自分の意見を明らかにする。実際に「行動」といえるのは選挙くらいだが、現状を変えるべきだという気概を持ったのなら、誰を、何を支持すればいいのかはっきりと見えてくるだろう。その選挙さえも関心を向けないのが現在の状況であるのだから。実際に、現状を動かし、打破するのは世論をもってしかできない。講演でも何度も強調されていたが、解決への近道は「関心を維持し、世論を高めること」である。

今日は初めての参加だったが、実際に来ないと分からないこともあるのだと実感した。横田さん、有本さん達の声を間近で聞くだけでも、感じ方は違ってくるはずだろう。今さら当然のことを言うが、メディアから受け取るものが事実のすべてではない。行ってよかった、本当に勉強になったと、一緒に行った友人も語っていた。私も同感だった。同時に、今日まで自分には何もできないという傍観者だったことは、同じ日本人として恥ずかしく思う。


2004年05月25日(火) 三宮

面接のため三宮へ。ホテル業界の仕事であったが、1時間半にわたる質問や説明の後に、意外にも採用の可能性が高いということをその場で仄めかされる。実務経験は無いものの、国内・海外でのアルバイトで学んだ接客対応や語学力に「今後」期待したいらしく、何より例の無謀ともいえる大陸横断の話が面接官の興味を引いたらしい。かなり強く。後は私の意思により正式決定する模様だ。問題は、勤務地。何でも新人研修中は静岡県内の某有名ホテルだという。距離がどうしても足を踏みとどまらせる。

約束の時間まで余裕があったので、東急ハンズをいつものように最上階から地階まで順にゆっくりと見物。この空間、やはり今も好きだ。非常に迷惑な客ではあるが、買い物をするつもりはほとんどなかった。買ったのは家へのお土産に沖縄限定シリーズのお菓子と、喜界島産純黒糖、レトロパッケージがかわいいオリ○タルカレー(粉末タイプ)くらい。目を奪われるものは沢山あったけれど、お買い物はまた近いうちに。別の機会に。


2004年05月17日(月) 大阪港

ひどかった風邪のような症状もようやく落ち着いてきたところで、今日は大阪港へ。帰国から1週間後にして初めて友人に会うことになった。目的は天保山で開催されているというアイスクリーム博覧会に行くことだった。ロシアのマロージェナエ以来アイスクリームに目がない(実際、イルクーツクとウラジオストクではカフェでも路上でも市場でもマロージェナエを一日中ひたすら食していた)私には素晴らしく良いタイミングだった。

海側の特設開場にその博覧会はあった。店舗用の冷蔵庫が並べられており、内容は全国の地方ごとに並べられていた。友人と私で選んだのは、手羽先アイス、牛タン、うなぎ、あわび、ひとめぼれアイス、わさび、にんにく、さんまの8点。こういう珍しいものは、一口目がドキドキするものである。一番気に入ったのはひとめぼれとわさびだろうか。びっくりしたのは友人のうなぎとさんま。焼き魚と苦味と魚介類の臭味がそのままアイスクリームの風味に溶け込んでいたそうだ。なぜわざわざアイスクリームにする必要があったのだろうか。噂のドンドルマ(トルコの伸びるアイス)だが、アイスクリームだけですでにお腹がいっぱいという頃に実演販売をやっていた。さすがにもう一つ買おうという気分にはなれず、写真とおなじトルコ人の職人がダイナミックにアイスクリームを操る姿を楽しんでいた。もう1度来そうな予感。ちょっと嬉しい1日だった。

携帯なのか、電話付きのデジカメなのか、とりあえず新携帯を入手。最近ははてなの日記に細々したことを書き込んだり、写真を載せたりしています。


2004年05月10日(月) 伏木

タラップを降りるとそこは日本であった。うかつにも到着地の下調べをしていなかったため、とりあえず長い直線の道路を歩き続け、港の敷地内から出る。そして途方に暮れている場合でもないのでひたすら「街」らしい方面へ足を進め、途中で避難場所の地図のようなもので近くに駅があることを確認。たどり着いた伏木駅は幸いにもJRで(知らない土地での私鉄は未だに不安)、そして小さかった。駅前の郵便ポストのうえに仏像が乗っていたりした。1時間に1本の電車で高岡まで行き、特急サンダーバードに乗り換え大阪へ。その約3時間の間に、どれだけ目まぐるしく景色が変わったことか。まったくもって対照的である。車窓は飽きることがなかった。右手に比良山地、左手に琵琶湖という絶景に差し掛かった頃にガイドのアナウンスまであった。京都駅を通過するころには、違和感もなくなり、既に現地人。


川村 |MAIL