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2004年04月26日(月) ヴィリニュス最終日

昨日の大雨から一転して、雲ひとつない快晴。到着したその日に思ったように、この街は青空しか似合わない。今日も夜明けの門をくぐり抜けて市街へ。ケーキの美味しかったカフェで遅めの昼食。パステルカラーの美しい教会をいくつか訪れ、川沿いの静かな石畳の通りを散歩し、別のカフェで一息ついてからポストカードを書いていた。駅前へ行って、余ったリタスの両替をしたり、移動中に必要な食料をスーパーマーケットで購入したり、ポストカードと小包を送るため郵便局へ行ったり。するべきことは何とか終えて、列車の時間までにかなりの余裕ができた。昨夜ホステルで話していたイギリス人にもう一度会いたかったが出発時間の都合で叶わなかった。ちょうど入れ違いになった、バックパッカーと見られる男性に"Bye"と告げてホステルを後にした。

平和で安全な旅はこれで終わる。いよいよ、かの北の大地へ向かうことになった。自分の身は自分で守らなければならない。決して緊張感を捨ててはならない。

などと、かなり神経質なほどに覚悟を決めつつ、気持ちを落ち着かせながら、今はまだ風の優しいヴィリニュスという街の駅のプラットホームで、眩しい太陽の光を深呼吸するように全身で浴びながら、列車を待っていた。


2004年04月16日(金) ウィーン2日目

7時半ごろ既に食堂は混んでいた。何故かフォルクステアーターからの地下鉄が分からず、路面電車でショッテントーアヘ。37の路面電車を待ち、ハイリゲンシュタットへ直行。降りる場所を間違え、プラッツに入れず遠回り。グリンツィングを下って行く。途中でベートーヴェンの家の前を通過。遺書の家へ向かうが突然現れた日本人観光客の集団と合流してしまう。彼らはやはり同じ方向へ歩きつづけ、そして遺書の家に入っていった。私は素通りした。予定を少しばかり変えベートーヴェンの散歩道へ向かう。以前と同じように散歩。ベートーヴェンルーエまではすぐだった。相変わらず静か。側に座り少し休憩。

It is like a room of someone I love.

ベートーヴェンハウスへもう一度向かう。途中で適当に右折するも、そのまま下りすぎてしまう。またもグリンツィングへ出てしまう。またも遠回り。

遺書の家は今日も静かであった。


2004年04月15日(木) ウィーン1日目

少々周りが騒がしくなった為か、目が覚める。近くに座っていた団体客が、荷物をまとめ慌しく下車して行くところだった。窓の外に目を遣る。まだ暗い。ザルツブルクの駅だった。その後よく眠れなかった。

ほぼ定刻に西駅着。変わっていない。ロッカーに荷物を預け、地下鉄で1駅、バスで2つ目、と初めて来た時と同じルートでホステルへ。チェックインを済ませ、中心部へ直行。ケルントナー通り、シュテファン寺院周辺で、何度も4年前を懐かしみながら、日差しの優しい午前の街を楽しんでいた。オペラ座からすぐにあるスタバに行き、エスプレッソ。部屋に入ることができる14:00頃にホステルにもどり、荷物を置いてからすぐに出かける。歩いてマリアヒルファーへ。お腹が空いてきた。しかしERSTEもマクドナルドも、初日から入りたい気分ではなかった。

「シェーンブルンへ行こう」。突如思い付き、方向のはっきりしない足取りを、その瞬間に地下鉄へ向かわせた。予定はあらかじめ立ててなど居なかった。今どこに行っても、行かなくても、明日からの旅には何の狂いも生じることはないのだから。とはいえ、行動範囲はウィーン市内のみであり、網羅された地下鉄で、どこからでも好きな場所へ短時間で行くことができるのであった。乗り継ぎ、シェーンブルンへ。夕方近く、風はだんだんと冷たくなってきたが、太陽の光はまるで風景全てを、自分をも包み込むほどに広大に映り、そこに暖かさを感じた。庭の中にある、お気に入りの小さなレストランへ。ピアノの音が流れている。店の中からだった。入り口のドアを開ける。ピアノの生演奏が行われていたのだ。本当に、音楽と、自然−風の流れや、暖かい日の光に映る風景、そしてそこに溶け込んでいたい自分−との調和さえその瞬間に感じた。"Gruess gott"と挨拶を交わし、奥の窓際の、日が差し込む席に座った。レースのカーテン越しに見える、広く美しい庭、風に揺れる葉と淡い色をした花々。私は心からくつろいでいた。ゆっくりと流れていく時間に、過去を懐かしみ、今を満喫できる。また戻って来る事ができたことに心からの感謝と喜びを思った。

パンと美味しいサラダを味わってからレストランを後にする。宮殿の前を横切り帰路へ。マリアヒルファーへ出るが、逆方向に歩いていることに端まで来た時に気付く。遠回りするならと、フォルクスからカールスプラッツへ出て、H&Mで買い物をしてからホステルへ戻った。土地勘を取り戻そうと、寝る前に路線図と地図をひたすら眺めていた。移動の疲れのためと、明日からのウィーンっ子生活に備え、早めに休むことにした。

Lieber Freund,
I wish you were here with me.


2004年04月07日(水) ハイデルベルク

まるで観光客という身なりで、いかにも観光客というルートをほぼ毎日歩いている。今日は車でハイデルべルクまで2時間半のドライブ。途中で立ち寄ったサービスエリアで出されたウィンナーは両端が皿からはみ出るほど長く、そして細い。マスタードはわさびなど及ばぬほどに辛い。南へ降りてきたものの天候は思わしくない。時に見せる晴れ間と雨雲が、絵画のように微妙な濃淡と筆先で描いたような光のラインを浮かび上がらせ非常に印象的であった。自然は無限である。人間が作り出す芸術のみに限定して比較するなら、人間は常に限界に向かって創作しうるのみであり、無限ではない。常に人間は自然に属しているほかにない。

ルディの家に着く。きちんと調律されたピアノと、1850年製のヴァイオリンから目が離せない。しかし今何を弾けるというのだ。楽器から離れてずいぶんとたつ。一度一体化しかけたものから再度離れると、再び元に戻るのは難しい。楽器においてのみ強くそう思う。

そのあとハイデルベルクを散歩。石畳の通りと居酒屋のアンティーク調の看板。いかにもドイツですね。


2004年04月05日(月) ケルン

今日はケルンの大聖堂に上る。途中の鐘まで260段、そこからさらに200段程度、狭いらせん状の階段を上り続ける。まるで終わりのない道のりだった。上りきった時の瞬間を期待しながら、息切れしつつも足を止めず一段一段を踏みしめていく。常套句を使わせてもらえば、上り詰めるとそこに光があった!最上階からのライン川の眺めは最高だった。帰りはものすごい勢いで階段を下っていった。その後、中心部でしばしウィンドウショッピング。めったにしないことであるが。天候が変わりやすい。5分おきに太陽の光が差したり、黒雲が姿を現した瞬間雨を降らせたり。他にすることも見つからないので、そのまま家に戻った。短い一日だったが久々に、思いっきり深呼吸ができた。気分は晴れ。


2004年04月04日(日) ボン2日目

遅めに起床。荷物は朝早くに届いていた。一安心。雨上がりの朝、ルディとベーカリーへパンを買いに行く。焼きたての白パンやセンメルがウィンドウに並ぶ。香ばしく懐かしい香り。朝食はたくさん。

午後から、3人でボン中心部へ。マラソン大会開催中ということで、街は賑やかだった。規制のため道路を渡れなかったり、目的地まで、徒歩で迂回する必要があったりしたけれど、初めて訪れる場所、何もかもが新鮮で目を奪われる。多少の不便は気にならない。Beethovenplats, strasseを途中で見かけた。ルディもボン在住5年ながら初めて訪れるという大聖堂へ。外の喧騒から、一瞬にして静寂に移るこの瞬間。今までどれだけの場所で、何度感じてきたことだろうか。ボンの大聖堂は特別に大きいわけではないが、厳粛さがありながらどこか柔らかい印象のある外観だった。その後、郵便局前にあるベートーヴェン像と共に写真撮影。そしていよいよ生家へ。面白い形をしたドアノブを開けて中へ。どこからかピアノの音が流れる部屋、小さな窓から見える庭や空。そして2階の奥に、Geburtszimmerはあった。部屋の前に立った時、全身が震えるほどの感動がこみ上げてきた。すべてはここから生まれた。思わず涙ぐんでしまいそうだった。そこにルディがやってきて、ここで生まれたんだよと日本語で教えてくれる。ゆっくり頷いた。目の前の空間が愛しかった。応援する観客でいっぱいの歩道を何とか前進し続け、さらに迂回し、広場近くにあるレストランにたどり着き、昼食。客は私たちと、向こう側のテーブルでビールで乾杯していた8人ほどのパーティくらいだった。あのノリはウィーンのホイリゲを思わせたのだった。食したのは意外と量のあるブロッコリーのグラタン。ジャガイモ付き。メニューの裏を見ると、"Schon Beethoven tanzt …" を冒頭に、レストランの歴史が書かれてあった。ここでベートーヴェンは踊ったという…!


川村 |MAIL