砂漠の図書室
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2001年04月25日(水) 『光る砂漠』


矢沢宰君・・・などと、ほんとうは君づけで呼んだりしてはいけないのだろう。
私よりもずっとずっと年上の方(1946年生まれ)であるし、
それよりまず、一面識もない方なのだから。


けれども「矢沢宰君」という言い方が、いまの私にはいちばんしっくりする。
なぜなら、彼は21歳の若さで亡くなってしまったから。
高校生のときに彼の詩と出会って、
いつしか彼の亡くなった歳を追い越して、
今はもう永遠に、ひとまわり以上も年下の青年になってしまったから。


『光る砂漠』という彼の詩集は、
たぶん、生まれて初めて書店に注文をして取り寄せてもらった本だと思う。
けれど、どうしてその詩集を買おうと思ったのかは覚えていない。
どこで出会ったのだろう。
彼のあの、うつくしい世界と。


たとえば、こんな詩が好きだった。


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「再会」


誰もいない
校庭をめぐって
松の下にきたら
秋がひっそりと立っていた


私は黙って手をのばし
秋も黙って手をのばし
まばたきもせずに見つめ合った


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先日、数年ぶりにこの詩集を手にとった。
あの頃好きだった詩は、今も好きだということに気づいた。


なぜ今も好きなのかを考えてみる。


彼のことばの使いかたに私がとても影響を受けたから・・?
もともと私の中にあった世界が、彼の詩と出会うことによって
引き出されてきたから・・?
同じものに対して、同じようにひかれる心を
生まれる前から持っていたから・・?


そのどれかであるような気もするし、
そのすべてであるようにも思える。


今日、この本を再読するまですっかり忘れていたことだけれど、
矢沢宰君についての紹介文に
「中原中也、八木重吉の詩の影響をもっとも受けた」
とある。
この二人は、私にとってもすごく大切な存在だった。
きっとこの解説の一文から興味をもって、これらの詩人の作品を読んでみたのだと思う。

今日まで忘れていたことをもうひとつ。
矢沢宰君の詩には時々、「かみさま」という言葉が登場していた。
「僕から」という詩には、「イエス様」という言葉もある。

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「僕から」


僕から
イエス様を
とり去れば
僕は灰になる
僕から
詩を
とり去れば
僕は灰になる

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解説にはどこにも、彼がキリスト者であったとは書かれていない。
でもこの詩を読めば、一目瞭然。


小学生の頃、私は毎日曜日に教会に通う生活をしていた。
けれども矢沢宰君と出会った頃は、すっかり無神論者になっていた。
だからこの詩にも、また、ほかの詩にある「かみさま」という言葉に対しても、
当時は何も感じていなかったと思う。
少なくとも意識の上では。


でも、彼を通してふたたび出会っていたのだ。
神から遠く離れて、
「いい大学」へ入ることだけを圧倒的に求められた高校生活の
閉塞した日々のさなかでも。


今日、初めてそのことがわかった。


人が一生かかわっていくテーマには二十歳までに出会っている、
という言葉を聞いたことがある。


「かみさま」
「光」
「砂漠」


どの言葉も、30代に入ってから
ひとつひとつ私の中でたいせつなテーマとなっていった。
すべて、すべて、
10代の頃に出会っていたのだった。


2003.3.9 記


clara-p |MAIL