砂漠の図書室
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2001年04月06日(金) |
『亡命者』 高橋 たか子 |
亡命者 / 高橋 たか子著 東京 : 講談社 , 1995
いま現在、私にとってとても大切な本。 これほど共感を覚え、作品世界を愛した本はここしばらくなかったように思います。
どこに共感したかということも逐一書きたいのはやまやまだけれど、書き尽くそうと思うとちょっとたいへんな作業になってしまうので、ここではまず「プスティニア」に関することを書こうと思います。
この小説には、プスティニアに住む人というのが出てきます。 まず、主人公。 そして、主人公をそのように導いたマリ・エステル、マルセルといった人々。
本のなかで、「プスティニア」という言葉はまずこんなふうに登場します。 主人公が住むパリの部屋の描写として。 以下、引用。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− この部屋は、プスチニアと呼ばれる。 たった一室。縦三メートル・幅二メートルほどの小部屋で、五階建ての建物の最上階にある。(中略) 入った正面の木床に、壁に立てかけて、イコンがあり、わきに赤いコップ・ローソクがある。たったいま戻ってきて、ローソクをつけ、私の坐っているのはそこである。 二メートルの幅ぎりぎりに、私は対座していることになる。もうすこし距離を置こうものなら、背中はドアにぶつかってしまう、そんな狭さである。(中略) 部屋の左端にベージュ色のカーテンが垂れていて、それを開くと、とうていキッチンなどとはいえない、五十センチほどの流し兼洗面所と、一台のガス・コンロとの場所がある。その上の壁面に、ここへ来た時に使いだした、かろうじて顔の中心部が映るだけの小ささの、鏡が貼りつけられている。 鏡なんて、いらないのです。 と、その頃、マリ・エステルは言ったのだった。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
高橋 たか子さんご自身、パリでこのような生活をなさっていたと、エッセイ集などに書かれています。 エルサレム会という観想修道会に、隠住者(エルミット)という立場で属したおりに、実際に会の方から参考にと、キャサリン・ド・ヒュイック・ドハーティの『プスティニア』という本を手渡されたと・・・
エルサレム会の隠住者は、自分の生活にかかる費用は自分で捻出するために、半日、外で働くことになっているそうです。 半日の労働で生活をまかなっていくので、部屋は当然質素なものになります。 質素どころか、それはもうたいへんな部屋のようです。計算してみたところ、月に1万円弱という部屋になるわけですから・・・しかし、逆にいえばパリならそういう部屋もまだあるということです。(建て替えサイクルの激しい東京にはそんな家賃の部屋はもう無いのでは・・・)
なぜその貧しさなのか。 ひとつには、労働は半日とし、残りの半日はその「プスティニア」で祈るためでしょう。 もうひとつには、存在のぎりぎりのところで生きるためでしょうか。 すなわち、砂漠で生きるように。余計なものを持たずに。
プスティニアとは、大都市の中の砂漠であり、世間の只中の修室であるといえましょう。
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