砂漠の図書室
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2001年04月05日(木) 『霊的な出発』 高橋 たか子

『霊的な出発』 / 高橋 たか子著
東京:女子パウロ会 , 1985

プスティニアという言葉を初めて知ったのが、この本でした。
本書は小説家の高橋 たか子さんが、パリで観想修道者に近い生活を始められてから書かれたエッセイ集です。
この中に「プスチニア」と題されたエッセイがあったのです。

私がつたない説明をするより、本文を読んでいただいた方がずっとわかりやすいので、以下に引用します。

[昔のロシアにあったプスティニアについて]

「誰かがふいにプスチニアに入るべき、神からの呼びかけを聞く。と、その人はすべてを捨てて、森のなかに丸太の小屋をたて、そこに入る。(中略)神の無限なる沈黙のうちに、神と一対一でいたいという燃える思いにとらえられた人なのだ。そういう意味で、砂漠であり、また、そこにおいて自分自身を全裸にし無にするという意味で、砂漠である。イコンと聖書があるだけの小屋に、パンと水だけをもって入るという意味でも、砂漠である。」

[カナダに作られたプスティニアについて]

「著者であるカトリーヌ・ド・ユエック・ドエール(原文のまま)は、昔のロシアにあったプスチニアなるものを、彼女がカナダで使徒職的に働いている「マドンナ・ハウス」において、同じ形で(森のなかの小屋によって)実現しようと試み、意外にも、そういうものに渇いていた現代の人々を惹きつけて、「プスチニアに入る」ことを欲する人々がどっと押しよせてきたことから、さらに次には、プスチニアをきわめて内面化した形で、現代大都市の只中に実現しようとする。」

[心のなかのプスティニアについて]

「現代のプスチニックは、心のなかに『プスチニア=砂漠』を持つ。(砂漠の意味は前述したとおり)。大都市の騒音の只中で、いつでも、何処ででも、「プスチニアに入る」ことができる。そして、外にも内にも雑多な音のみちみちている現代都会人にたいして、この内的沈黙のうちに神を聴く内的場所である『砂漠』をはこんでいく。自分がそこにおいてキリストと共にいるとともに、そのようにして、人々との出会いから出会いへと、自分のなかのキリストをはこんでいく。(中略)
もはやプスチニアは地理的または物理的場所ではない。内面化された或る場所なのである。そしてそれは、誰もが持つことができる。プスチニックに、誰もがなることができる」

以上がプスティニアについて紹介された文章ですが、高橋たか子さんのいくつかの小説には、プスティニアに住む人(=プスチニック)が登場します。





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