ニュースで流れる戦争に関する意見は様々だ。
だが、反戦の理由に「戦争は悪い」とか「平和」とかを軽軽しくあげる 人を見ると、なんとなく胸につかえるものがある。それはそれとして 事実だが、では果たしてその簡単な理由を総理が考えなかったと 思うだろうか。
「平和」という言葉は決して軽くない。
私も自国の歴史を多く、かつ正確に知らない方だろうから、あまり 大きく言えたものでもないが、現在の日本の「平和」は、国民が勝ち取った 「平和」ではない。他人から与えられた平和、既に存在した平和の上で のうのうと育った我々(戦後に育った人などを中心とする)に、はたして その言葉を軽く口にする事ができ得るのだろうか?
勿論、戦争によって失ったものやその爪跡を知る人達に、その言葉は 決して軽くないことは言うまでもない。ただ、感情論で反戦を口にする 人があまりに多いのではないか、という事が気になる。そんな人に軽軽しく 「世界平和」などと言って欲しくはない。24時間テレビに参加するのと 同じ気持ちで世界が救われるなら、戦争も武力行使も起こりはしないのだ。
正直、日本のとるべき道や、今後の世界情勢など、私にはわからない。 もしかしたら米国への支持や援助という意志選択は間違っているのかも 知れない。だけれども、近視眼的、感情的な単純な意識から口にされる 反戦の言葉、自国の政府、リーダーへの軽軽しい気持ちからの反対の声 は、いやだ。聞くのがつらい。訴えるものに欠けて、感情だけが喋るように 見える。
他の国でも同じなのだろうか。少なくとも他国の反戦デモには、参加者に 強い信念を感じる。ニュースに映る日本の彼らには、戦争のリアリティ も、痛みのリアリティも、平和のリアリティも薄いように見える。
自分の国に対する、知識も誇りも持たない人間の反対の声に、 どれだけ真実は詰められているんだろう。賛成も反対も、我々は深く考え、 その上で意見を言える人間でなければならないと思う。
本当は、無知と無教養こそが、争いを招くのではないだろうかとも思う。
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