堕天使のつぶやき
堕天使でも人生楽しめる

2002年02月25日(月) 叔父の死

今回の帰省は、今までにも日記に書いていたので想像つくでしょうが、叔父が亡くなりました。

日付が変わって17日の日曜日の午前3時頃、兄から電話があり、土曜日の夕方頃に「もう時間の問題です」と言われたということで、そろそろ帰って来いと。
急いで帰りたい気持ちはあったのだけど、寝ずに運転するのは危ないので、朝まで寝てから出発。
6時間程ひたすら車で走り続け、母の家に寄る(母は実家には住んでいない)。叔父は、相変わらず危険な状態ではあったのだけど、一応落ち着いていると聞き、お茶を一杯飲んだ後、「もしかしたら叔父が待ってるかもしれないから。」と実家まであと一時間半の道のりを急いだ。
実家に着き、荷物を置いた後、祖母を乗せ、叔父の入院する病院に行く。
浮腫も黄疸も酷く、呼吸をするのも一生懸命の状態。瞬きも出来ず、意識も無いように見えた。
けれど話しかけると、弱々しいながらも「ぅ〜」とうなり声をあげているような気がした。
きっと、意識はあったんだろう。
2時間ほど手と足をさすりながら、家族と話をしていた。
叔母(奥さん)は、「もう、こんなしんどそうな姿見てるのが辛いんよ。」と涙ぐんでいた。
点滴が一本と、同じ管から痛み止めの麻薬の注射がされていて、あとは酸素マスクだけ。延命処置は何もしない方向。心臓マッサージもしないということ。
うん。それでいいんだと思う。
充分頑張った。
だから、「頑張って」とは言わなかった。
「しんどいね。」とだけ声をかけて、手足をさすり、心の中で「もうゆっくり休んでもいいよ。」と呟いた。
とても短気で、決して「ありがとう」なんて言わない叔父が、意識の無くなる少し前に、叔母に「最後まで苦労かけたな。」と言ったという。
やはり、かなり前から死を感じていたんだろう。
叔母も、充分出来る限りの看護をした。
もう充分だったと思う。


祖母は、前日明け方まで病院にいたので、これ以上疲れさせて祖母まで倒れられたら大変だし、心電図は一応落ち着いていたので、22時頃に帰ることにした。
1時頃に、いつでも出られる準備をして布団に着くと、4時半頃に電話が鳴る。
兄と祖母と家を出ようとしたとき、息を引き取ったと電話が入る。

死に目には会えなかったけれど息のあるうちに会えたし、叔父も家族に看取ってもらって幸せだったに違いない。


病院に着いて、身体を綺麗にしてもらった叔父と会ったが、涙は出なかった。
看護婦をしていて、死に慣れてしまったんだろうか。と不安になりながら、「お疲れ様」と心の中で呟いた。


叔父を自宅の布団に寝かせ、お通夜の準備などでバタバタ。
お昼頃に一度家に帰り、祖母はちらし寿司を作っていた。
夕方、お通夜の始まる少し前にまた叔父の家に行き、お経を聞く。
こんな訳のわからないお経が、死ぬと心地よく聞こえるのだろうか。
小さい頃、祖母の隣に座らされ、毎日般若心経を唱えさせられていたので、今でも般若心経だけは誰かに付いていけば唱えられる。

夜も遅くなり、身内だけになると、叔父の寝ている横で馬鹿話で盛り上がる。
賑やかな人だったけれど、叔父に負けず劣らず家族も賑やかな人ばかりなので存分賑やかだ。
まだ叔父が亡くなった気がしない。
ただ酔って寝ているだけみたいだった。
「今までどれくらい酒飲んだんかなぁ?」
「50Mのプールくらいは飲んだやろ。」
「一升瓶に入れて並べたら、東京ドームくらいは一杯に出来るかな。」
などとみんな好き勝手言う。
含み水って言うんかな?お通夜の時に口を湿す水。
途中から酒にした。
もう好きなだけ飲めばいい。
本当は、あんな綿に含ませて湿すだけなんてまどろっこしいことせず、一升瓶から流し込んで飲ませてあげたかったが、まあ、そんなことは出来るはずもなく。
0時を過ぎた頃、家に帰った。

翌日は友引で、昼頃から叔父の家に行く。
持って帰ってきてしまった紙おむつ、もう使わないので、書類を持っていくついでに病院に寄付。
お客さんの食事を買いに行ったり、お茶を入れたり、部屋を片付けたり。
車の運転が出来ない叔母、祖母の足となる。
ふと気が付くと、叔父が一人で寝ている。
横に座ってお線香のお守り。
何故か叔父が部屋に一人になってしまっていると気になって仕方がない。
時々兄と二人でお線香のお守りをしていた。
時々叔父の思い出話をしながら、とても静かで穏やかな時間だった。
祖父が亡くなったときのことを思い出す。
祖父が亡くなったときは、兄と二人が無言で一晩中祖父の横に座っていた。
この日は、母もいたので、22時頃に一旦母と祖母を家に連れて帰り、また私だけ叔父の所に行き、叔母といとこたちを寝かせ、夜中の3時頃までお線香のお守りをした。
翌日はお葬式。叔父の体は骨だけになる。
一緒にいられるのはこの夜までだ。
あんなに酒好きだった叔父の枕元で、不思議と酒盛りする人間は一人もいなかった。
そういえば、親戚の中で酒好きだった私の父と祖父はもうとっくにあの世にいる。父と祖父がいなくなってからは、みんながお茶を飲んでいる中、叔父だけが酒を飲んでいた。
あっちで思う存分父と祖父とその他大勢と酒盛りしてくれ。
まだ叔父が死んだ気がしない。
涙も出ない。


翌日お葬式。
大きな祭壇に、菊の花に囲まれて叔父の写真が飾られてある。
その前に棺がある。
それを見ていると、ようやく叔父が亡くなったことを実感してきた。
それと同時に涙が溢れてきた。
棺に花を詰め、釘を打つ。
本当にお別れの時を感じ、涙が止まらなくなって胸が苦しくなった。
「ご苦労様・・・」
それしか叔父にかける言葉は見つからない。
でも、「ご苦労様」と言えない死はあまりにも辛すぎる。
54歳の死はあまりに早すぎるが、叔父は充分頑張った。酒は命を縮めたかもしれないが、叔父は必死で生きていた。
最期まで癌は告知していなかったが、叔父はとうに気付いていたはずだ。
叔父は、最期まで自分は癌なんじゃないか・・・とは誰にも言わなかった。


本当にお疲れ様。
気を付けて旅立って下さい。
酒飲みながら三途の川渡ってたら、川に落っこちるよ(笑)
心配しなくても、これからも、こっちでは存分にあなたの悪口を肴に茶を飲みます。今までと同じように(笑)







あと、笑い話がいくつかあるので、それはまた次回に・・・



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