堕天使のつぶやき
堕天使でも人生楽しめる

1990年09月21日(金) 棚卸し-看護学生-

高校を卒業すると、実家を出て、病院の寮に入り、働きながら看護学校に通った。
朝から昼まで看護助手として仕事をして、昼から夕方まで学校に行く。
学校が終わった後は仕事も無く、待遇は良かった。
給料は手取りで月5万だったが、寮費も食費も引かれてだったので、十分生活はしていける。
けれど、食事と言っても病院食。自分で食事を買ってくる事も少なくなかった。
遊ぶお金も欲しいし、私は学校が終わった後、宴会コンパニオンとスナックでホステスを始めた。
忙しい日々だったけれど、それなりに楽しんでいた。

ある日、看護学校で、精神科の授業の時、躁鬱病について習った。
躁鬱病は、回復期に自殺企図の傾向が高いと・・・

祖父は、回復期にあったのだ・・・
もう少しで・・・
もう少し何とかしてあげられていたら・・・
祖父は死んでいなかったかもしれない・・・

そして、鬱などの人に対して、「頑張れ」などという励ましの言葉を決して言ってはいけないと。
頑張って頑張って、それでも頑張れない状態になっているから病気になっているのだから。
頑張れない自分に対しても、本人が一番憤りを感じているのだからということだった。

私は、他の家族は、祖父に対して励ましの言葉をかけてはいなかっただろうか・・・
思い出せない・・・
もし言っていたとしたら・・・
祖父はどんなに辛い思いをしただろう・・・

私は、震えが止まらなくなった。
涙が出そうになった。

この事は、家族には言えなかった。
また悩ませ、苦しませると思った。


2年の准看の学校を卒業し、私は准看の資格を取った。
そして、もちろん正看の学校に進む事にした。
自分自身も資格を取ってレベルアップしたかったし、祖父もいつも言っていた。
「正看になれ。」と・・・

無事入学試験にも合格し、また働きながら3年間の正看の学校に行く事になった。
今度は、准看の資格を持っているので、准看として仕事することになる。
夜勤もあった。
朝から夕方まで仕事して、夕方から21時頃まで学校に行き、0時過ぎからまた深夜勤に入ることも珍しくない。
平日は学校があるので、準夜勤が出来ない為、土日・祝日は準夜勤が入ることが多い。
仕事も学校も無い、一日休みという日はほとんど無かった。
准看の免許を取ってからは、寮も出て、一人暮らしをするようになった。
給料は、普通に准看としての給料を貰えたので、生活に困ることはなかった。

自由を満喫しつつ、寂しさも感じ、私は猫を飼い始めた。
「猫が欲しい」と言っていたので、友人が「知り合いの家で産まれた子猫を貰ってくれない?」と言ってきて、その子を貰うことにした。
その猫が太郎。
16歳になり、今現在(2009年1月)も一緒にいる。


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