1990年09月16日(日) |
棚卸し-中学生時代- |
中学生の頃の私は、自分自身の様々な顔に、心に翻弄されていた。
疑心暗鬼という言葉が、最もしっくりくるだろうか。
「親なんていらない」という突っ張った心、冷めた心。 それとは裏腹に、「寂しい」という心。 表には出さなかったが、友人の発する、「お父さん、お母さん」という言葉に、妙に反応していたのもこの時期。 友人が話す「お父さんが・・お母さんが・・」という話を、私は「じいちゃんが・・ばあちゃんが・・」と話していることに、妙に敏感になり、寂しさを憶えた。
祖父母の前では、相変わらず良い子だった。 親の居ない家庭で、経済的にも苦しい状況を気にし、幼い頃から、おねだりをすることもなかった。 しかし、中学生になり、果敢な時期、お洒落もしたくなる年頃。 欲しいものは、万引きした。 興味本位で煙草を吸ってみたりもした。 しかし、何一つ満たされることはなく、自分自身でも分からない心に、苛立ちを憶えていたりもした。 何をすればよいのか分からない。
初めて爆発したのが、中学2年生の時。表現の仕方が分からなかったのだろう。中間テスト初日、3教科のテストを全て白紙で提出した。 担任の先生に呼び出され、「どうした?」と聞かれたが、何も答えることは出来なかった。ただ、祖父母の話をされた時、涙が溢れて止まらなかった。 その時の先生は、熱血タイプの男の先生で、比較的心を覗いてくれようとする先生だった。 「明日のテストはどうするつもりだ?」と問う先生に、「分からない」と答えると、「ここまでやったんだ。好きなようにしたら良い」と言って、話は終わった。 翌日の2教科。私は、ほんの少しだけ回答を書いた。 ○×問題に全部×を記入し、記号問題では、アイウエオと順番に書いた。
当然のことながら、それは祖父母の耳に入り、祖母はかなりなショックを受けていた様子だった。 「どうしてこんなことするの?」「お前だけは真面目にやってくれてると思ってたのに・・・」 祖母の口からは、そんな言葉ばかりが発せられる。 「何かイヤな事でもあったのか?」そう聞かれても、答えられなかった。 何があったのかなんて、自分でも分からなかったのだから。それで爆発してしまっただけなのだ。
たった一度、テストを白紙で出した時から、私の成績はガタリと落ちた。 それまで、比較的上位にいたはずの成績が、どう頑張っても元に戻らないのだ。 中学3年生になった私は、行きたかった高校のランクを一つ下げることにした。
そう、中学生の時の、最もショックだった事と言えば、友人の裏切りだった。 友人にしてみれば、裏切りだとは思ってはいなかったのだろうけれど。 その頃、仲良くしていた友人は、児童施設に入っている友人だった。 彼女は、不良と呼ばれる人たちとの付き合いが深く、学校でも要注意人物とされていた。 彼女が、施設で虐待を受けている・・・と聞かされ、親身になって相談に乗っていたつもりだったが、まだ子供の私にはどうしてあげることも出来なかった。 そして、彼女は家出を決行する。 施設を飛び出してきた彼女を、私の家に泊めた。 しかし、そう長くうちに泊めるわけにもいかず、家出が長引けば長引くほど、事態は悪い方へと進んでいく。 それに、私の家では、すぐに足がついてしまった。 彼女は、2,3日の自由を楽しみ、施設へと帰っていった。 その後、「次に家出をしたら、施設を追い出される」という状態になってしまった。 施設を追い出されてしまったら、彼女の行く場所は無い。 私は、「あと一年の辛抱だから。」と、彼女を説得したが、彼女も限界は来ていたのだろう。 「もう絶対に家出はしない。」と約束したものの、数週間後に、私の靴を履いて、私の自転車に乗って、「歯医者に行って来る」と言って彼女はまた消えた。 靴と自転車が無い私は、学校から帰ることも出来ず・・・ 「約束したもん!必ず帰ってくる!」と、遅くまで学校で待っていたが、結局帰ってくることはなかった。
それから、色々な先生からの疑いの目に晒されることになった。 「かくまっているんだろう?」「居場所を知っているんだろう?」「高校生が絡んでいたら、高校生は退学になってしまうんだぞ。」 私は、何も知らなかった。 一部の先生は、「きゃさりんは何も知らないんだから。」とかばってくれたが、私は、そのとき、自分がこんなにも信じられていなかったのだと思い知った。 あんなにも約束したのに・・・という友人への失望。 でも、何とか助けてあげたい・・・という同じ親のいない環境の友人への思い。 色々な思考が渦巻いた。 彼女が失踪してから数日後、私の所に電話が入った。 彼女から、居場所を知らせる電話だった。 帰って来いと説得もしたが、どうにもならなかった。 先生に言うべきか、隠し通すべきか悩んだ。 が、どうしてあげることが良いのか分からず、一番信用出来る先生に相談した。 「今晩は、そっとしておいてあげて。」という私の唯一の願いは、かなえられることはなかった。 しかし、先生の踏み込む直前、彼女は、その場を逃げていた為、見つかることはなかった。 そして、それからは、私の元へも連絡はなくなった。 しかし、それから毎日、先生方からの執拗な呼び出し、脅し、探り・・・ ほとほと疲れてしまった。
寂しさ、冷めた心、自暴自棄、自分自身の存在意義・・・そんなものにも振り回され続け、私は、「死」を考える事が多くなっていた。
そして、やっと見つかった彼女は、母親の元に引き取られることになり、転校していった。 私は、ただ利用されていただけなのかもしれない。 そんな思いも残った。 それでも、結果的に、母親と暮らせるようになった友人にとって、幸せになれる結果であったのなら、それで良いかとも思っていた。
しかし、高校に入って、また彼女との交流が始まった頃、彼女はシンナーに溺れていた。
中学では、全く信用を無くしてしまった私。 その頃、家では、祖父の病が出現していた。 この先が、私にとって、一番苦しい棚卸しとなることでしょう。
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