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diary
2008年01月29日(火) 幸せの小道
わたしはしあわせになりたい。
小さい頃、わたしはたくさんのお伽噺をきいた。眠る前に、子守歌代わりに聞いた物語、絵本の世界。
もうちょっと大きくなると、自分で字が読めるようになったので、誰かに聞かせてもらわなくとも、ひとりで本を読むことができるようになった。いろいろ物語を読んで、わかったのは、物語の主人公はどんなに不幸せなひとだって、最後には必ずしあわせになれるということ。いじめられていたシンデレラは、王子様と結婚していつまでもいつまでも、しあわせに暮らしました。めでたしめでたし。だからわたしは、しあわせになるというのは、最低限の未来なんだと思っていた。しあわせでないひとがしあわせになって終わる物語が感動的なら、特段ふしあわせでないわたしがしあわせになるのは、どうってことはないことになるに違いなかった。
いつかもっと大きくなって、ひらがなを覚えて、カタカナを覚えて、漢字を覚えて、大概の本を読むことができるようになると、しあわせじゃなく終わる物語もあるのだと知った。赤い靴を履いた女の子は、魔法で踊るのを止められず、木こりに足を切ってもらわなければなりませんでした。かわいそうに、女の子は両足をなくしてしまいました。足がなくなったら、きっとめでたしめでたしじゃぁないんだろう。こんなとき、お伽噺はどんなふうに終わったんだっけ。とにかく、未来の最低限の終着点に、しあわせ以外のものも、用意されているのだと知った。これは衝撃だ。恐ろしい話じゃないか。
「で、それを知ってそのちびっこはどうしたのさ」
「別にどうもしないよ。そのうちに、しあわせにならないひとの方が多いのかもしれないと知るんだ」
「かわいそうだな」
「かわいそうだね」
「今はどうなの」
「今は、別に」
「別にってなにさ」
「王子様と結婚して、いつまでもいつまでも暮らすことがしあわせなのかがわからなくなったというわけよ」
しあわせってなんだと思う、なんていう陳腐な質問をしないのがセオリーだ。わたしはきっと今、しあわせに近いところにいるんだと思う。でも、たくさんのひとたちと同じように、それを説明できない。
「型が用意されている方が、ある意味しあわせなのかもしれないね」
「カテゴライズされているってこと?」
「王子様と結婚して、いつまでもいつまでもしあわせに暮らすことがしあわせなんだって決まっていたりすることかな」
「なにがしあわせかわからないのはふしあわせかしら」
「それが一番しあわせかな」
「しあわせと幸福の違いを知っている?」
「幸福は液体で、しあわせは固体、だっけ?サリンジャーだね」
「なんだ、言うことなくなっちゃったじゃないか」
「語り部のくせに」
「気体のようなしあわせってあるのかなぁ」
わたしはしあわせになりたい。ただ、わたしはしあわせになりたい。今でも、きっといつまでも。
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サキ
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