back next new index mobile
me note diary

2004年02月02日(月) HONEY

「あたたかいお茶を淹れてきてくれないか」
彼が汚れたティーカップをこちらに差し出した。
彼がお茶というのは決まって紅茶、それもアールグレイのことで、ぼくは心得てそれを受けとる。


そのカップは、まったく、汚れていなければ大層なブランド品で、愛好家なら目の色を変えるようなものなのに、彼ときたらそれを、まったく杜撰に扱っているものだから、底や唇の当たる部分がすっかり茶色く変色してしまっていた。
ぼくがここに来る前は、ろくに洗うこともせず、飲み終わればその辺に放って置いて、また飲みたくなったらそこにそのまま注ぎ足す、ということをしてきたらしい。
おかげで汚れは頑固にこびりついて、ぼくがクレンザーでいくらがしがしやっても、到底落ちてはくれなかった。


「甘くしてくれよ。かといってシュガーはダメだ。わかっているね?」
もちろん、とぼくは笑う。
ここにきて、何百回聞かされたものだ。
「蜂蜜を、スプーンに三杯、でしょう?」
ぼくの答えに彼は満足そうに微笑んで、デスクに目を落とした。
あとはぼくがカップを持っていくまで何を言っても耳には入りやしないだろう。
いや、持って行っても無理だ。
一端仕事を始めると、世界は彼の回りから消えてしまう。
彼が気付いたときにはすっかりお茶も冷めてしまっていて、彼は苦い顔をしてそれを啜るのだった。


「ワン・フォー・ミィ、ワン・フォー・ユー、ワン・フォー・ポット」
彼のためにお茶を淹れながら、ぼくは二度、このスペルを繰り返す。
一度目は茶葉を入れるとき、二度目はいい匂いをたてているアールグレイのカップに蜂蜜を入れるとき。
ぼくは実は、紅茶に蜂蜜を入れるのは好きじゃない。
紅い綺麗な色が、黒く珈琲のように濁ってしまうから。
匂いだって同じで、せっかくの香りが蜂蜜の匂いで曇ってしまう。
それなのに、彼はそれを三杯も所望するのだから、
「まったくどうかしている。」
溜め息が黒ずんだ紅い水面をそよがせた。


彼のデスクに熱い淹れたての紅茶を運んだ30分後、不意に彼の声がした。
「また冷めてしまったよ。」
ぼくは声を立てずに笑った。
「しかしな、キミの淹れてくれたお茶が一番美味いのだよ。」
ぼくはそして、至上の悦びを感じるのだった。


<<   >>


感想等いただけると、励みになります。よろしければ、お願いします。
管理人:サキ
CLICK!→ 
[My追加]




Copyright SADOMASOCHISM all right reserved.