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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2015年06月18日(木) 『誘拐の掟』を観て アルコール依存症とAAが登場する映画がいくつかあります。お勧めどころを挙げると、ビル・Wの伝記的な映画「ドランカー(My Name is Bill W.)」、サンドラ・ブロック主演で施設での4週間の治療を描いた「28DAYS」、AAが制作に協力した「酒とバラの日々」、イギリス映画の「マイ・ネーム・イズ・ジョー」、メグ・ライアン主演の「男が女を愛する時」、他に「チェンジング・レーン」、「フライト」もお勧めしておきましょう。
つい先日、マット・スカダーシリーズの小説「墓場への切符」を映画化した「誘拐の掟」を見に行ってきました。その感想を含めて最近感じていることを書きます。
誘拐の掟
http://yukai-movie.com/
マット・スカダーシリーズは、アメリカの推理小説作家ローレンス・ブロックが30年近くにわたって書き継いでいるハードボイルド小説です。長編17冊が日本語に訳されて出版されています。
マットはニューヨーク市警の警官でしたが、非番の夜に警官にタダで飲ませてくれるバーで飲んでいたところ、その店が強盗に襲われます。彼は強盗を追いかけるのですが、その途中で撃った拳銃の弾が跳ねて7才の少女の目に当たり、その子を死なせてしまいます。マットは犯人逮捕の功績を表彰され、少女の死の責任を問われることはありませんでした。しかし、彼は警察を辞め、酒に溺れるようになり、やがて妻子と別れてしまいます。
一冊目に登場するマットは、飲んだくれの私立探偵になっています。(その後、数作に渡って彼は飲み続けます)。私立探偵とはいっても、ライセンスは持たず「知り合った友だちの頼みを引き受け、経費と僅かの報酬をもらうだけ」なのだと言います。
ローレンス・ブロックが書き、訳者田口俊樹が日本語にした文章からは、マットが背負った人生の切なさが匂い立ってくるかのようです。優れたハードボイルド小説なので、お暇があったら、ぜひ読んでいただきたい。1970〜80年代のニューヨークのAAの様子が描き出されているので、その点でも面白いし。
実はマット・スカダーシリーズは、以前に一回映画になっています。シリーズ中一番の名作とされる「八百万の死にざま」を原作に、1986年に映画が作られました。Amazonで探しところ、DVD化されておらず、商品はVHSしかありません。これはひょっとして映画は人気がなかったのか・・・観て理由がわかりました。舞台は陽光溢れるロサンゼルスに変えられているし、マットの人物描写も原作の人生の哀しみを背負った男から、なんだかチャラい軽薄男になっているし、なによりストーリーが少女の死以来、拳銃を握れなくなっていたマットが、トラウマを克服して拳銃をバンバン撃ちまくれるようになっちゃったりして・・。全然違った話になっていますから、マット・スカダーのファンからは黙殺されたとしても無理のない映画でした。
おまけに、その映画のエンドロールに、大きく「Alcoholics Anonymous」とクレジットが出てきたのを見たときには、思わずorzでしたよ。もう。こんな映画に、こんな映画、こんな映画にAAの名前が大きく出ているなんて!
そんなわけですから、「八百万の死にざま」の映画は見ない方が良いです。小説のほうは、とってもお勧めです。
で、今回の「誘拐の掟」は(結論から言うと)観てとても楽しめました。ただし、万人向けとは言い難い。誘拐犯はサイコパスのシリアルキラーで、おぞましいシーンもビジュアルに描写されますから。
それで、映画のストーリーがネタバレにならない程度に感想を書いてみたいと思います。推理小説ファンという立場からでなく、12ステップ的な観点から。
マット・スカダーの小説を読んでいる人で、なおかつ12ステップやAAに親しんだことのある人は、主人公マットの行動に違和感を憶えることもあるんじゃないかと想像します。なぜなら、マットはさらりと嘘をつくこともあるし、人を見捨てたり、敵対的な相手をためらいなく陥れたりするからです。そうした行動は、正直とか謙虚とか、正しさを求める12ステップの生き方と矛盾しているのじゃないだろうか、と。
最初の酒を飲んでいた頃ならともかく、アクティブなAAメンバーになった後も、そうした行動がやまないのはどうしたことか。それをこんなふうに合理化して考えることも出来ます。きっと、マットは12ステップに従って「正しく」生きたくても、私立探偵という職業は人の欲望が相克し、時に暴力的ですらあるわけですから、「正しく」生きてばかりはいられないのだ、と。ましてや彼のようにアウトローに囲まれて暮らしていればなおさらだし。ローレンス・ブロックは、主人公の性格付けにアルコホーリクやAAを使ったけれど、結局これはハードボイルド小説で、12ステップは話を盛り上げる材料にすぎないのだ・・と。
対極的な話として「北の大地」というコミックを紹介しましょう。これは青年マンガ誌に掲載が続いている作品ですが、主人公のプロゴルファーは温厚な性格ではあるものの、自分の信じるところを曲げず、そのことで自らがどんなに大きな不利益を被っても、ひたすら努力して一途に信念を貫いていくところが人間的魅力として描かれています。こちらのほうが、よほど「12ステップっぽい」と考える人もいるのでしょう。
僕もそのように考えていた時期もありました。だが次第に、マットの生き方こそ12ステップの生き方なのかも知れない、と思うようになってきたのです。
この頃、いろんな人の棚卸しを聞くことが多く、人の内面を知るようになるにつれて、一つの考えを持つようになりました。それは、
アルコホーリクになる人は、奇妙な正義感を抱えている。というものです。
「奇妙な」という形容詞がふさわしいのかイマイチ自信がありませんが、他に良い形容詞が思い浮かびません。
ひとつ例を挙げるとすると、映画「酒とバラの日々」でジャック・レモン演じる主人公ジョーです。この映画はAAが協力して作った映画で、AAが考えるところのアルコホリズムという病気の概念や、アルコホーリクの性格が映画の描写に反映されている、と考えることができます。
ジョーは広告会社に勤め、広告マンとして高い理想を持っているのですが、実際の彼の仕事は大口顧客が開くパーティーにコールガールを手配するというポン引きみたいなことだったり、顧客の好みに合わせてまったく的外れの宣伝をやられたりしています。理想とのギャップに悩んだ彼は、上司に相談するのですが、上司は「平気でそういう仕事が出来るヤツもいるのだ」と言って、あっさりジョーを担当替えしてしまいます。傷ついたジョーはますます酒に溺れるようになる。
理想と現実のギャップに悩み、目の前の現実が動かし難いがゆえに、希望を失い、いろいろなことがイヤになってしまう。アルコホーリクの内面にはそんな話が多いように思います。
マット・スカダーも、優秀な警官としての自分に誇りを持っていたわけですが、少女を殺してしまったことの責任は問われず、むしろ犯人射殺を表彰する警察組織に幻滅してしまいます。幻滅するのは警察に対してだけでなく、自分の人生や世の中に対しても希望を失ってしまいます。
奇妙なほどの正義感と、「正しさ」を貫けない現実への苛立ちと幻滅。男性のアルコホーリクの中にはそんな傾向があるのじゃないかと考えています。
12ステップは、私たちが(アルコールに対してだけでなく)動かし難い目の前の現実に対して無力であると教えてくれます。自分の考えた奇妙な「正しさ」なんて貫けなくて当たり前なのです。それでも現実に幻滅せず、むしろ現実から逃げ出さずに向き合って、なお、なるべく心穏やかに生きていく方法を身につけさせてくれます。
「北の大地」の主人公は、動かし難い現実を信念の強さを使って打破していく強いヒーローとして描かれています。コミックらしく、現実には滅多にいない存在を理想として描いています。でも、それは12ステップとはむしろ対極の生き方でしょう。(だって、12ステップは理想ではなく現実ですから)。
12ステップに魅力を感じ、自ら12ステップに引き寄せられてくる人の中には、現実の壁にぶち当たって挫折し、怒り、恨みや哀しみを抱えている人が少なくありません。12ステップの解釈を間違えると、12ステップを「動かし難い現実を変えるための道具」として使い出します。無力を認めたはずなのに、現実を自分の信念に合せて変えるための力を求めるようになってしまいます。一生懸命12ステップに取り組んでいるはずなのに、傍から見ていてなんだか辛そうな人ができあがるのは、そんなカラクリなのではないしょうか。
映画「誘拐の掟」の中の一つのシーンを紹介します。マットが誘拐犯と交渉している中で、人質を無事帰してくれれば見逃してやる、だから犯人は「ロサンゼルスに行って同じ事を続ければ良い」と言い放ちます。マットは元警官ですから、犯人を逃がして良いとは決して思っていないはずです。むしろ犯人を許せないという強い正義感があるはずです。けれど、いま目の前の問題である人質を救出するために、迷いなく「見逃してやる」と言える。(・・もちろん、その通りに話は進まないのですが)。
「清濁併せ呑む」という言葉があります。広辞苑を引けば、「善・悪のわけへだてをせず、来るがままに受け容れること。度量の大きいことにいう」とあります。現実の壁にぶち当たって希望を失う人は、清い水だけ飲みたがっているように見受けられます。汚い水を避けることが善性だと言わんばかりに。
先日マインドフルネスの講座のためにインドから偉いお坊さんがやってきました。僕は忙しくて行けませんでしたが、行った人からカードをもらいました。そのカードには
no mud no lotus
と書かれていました。意味は「美しい蓮の花は泥土から咲く」とありました。汚い泥土がなければ、蓮の花は咲きません。泥を拒んで蓮の花だけ手に入れることは無理なのです。時には自分が悪役を引き受けねばならないときもある。評判を落としたり、誤解に耐えなければならない時もある。自己犠牲の域を超えて、理想から外れなくてはならないときもある。その時に、それを選び取れるようでありたい。
僕はよく回復を登山に例えます。登山道は登山口から山頂へまっすぐ向かってはいません。直登は大変ですから、たいていは、斜面を斜めに進んでいきます。すると山の起伏に沿って、上りへ向かうはずの登山道が、一時下るときもあります。それは、自分の理想とは反対方向に進まざるを得ない局面があるということです。動かし難い現実を、そのまま受け止めるしか方法はないのですから。
そう考えると、マット・スカダーは12ステップの価値観を体現したヒーローと呼べそうです。絶版にならないうちに、マット・スカダーシリーズは買いそろえておかなくちゃ。
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