心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」

たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ過去へ未来へ


2014年07月07日(月) アダルト・チルドレンを理解するために

日本には、ある程度の数のミーティング会場を持つACのグループが3つあります。

ACA(アダルト・チルドレン・アノニマス)
ACODA(アダルト・チルドレン・オブ・ディスファンクショナル・ファミリーズ・アノニマス)
ACoA(アダルトチルドレン・オブ・アルコホーリックス)

どれも12ステップを使っているグループですが、このうちACAとACODAは(おそらく)日本で始まったグループです。wikipedia によると、日本におけるAC文化の歴史は、1989年のクラウディア・ブラックの講演に端を発しているそうです。

とすると、ACAやACODAの誕生はおそらく1990年代ということになります。ACAが使っている12ステップの本の奥付には日本語版の初版が1998年に出版されたとあります。(ちなみに原著の英語版初版は1987年)。

回復の分野に20年以上いる人は、1990年代のアダルト・チルドレン・ブームを憶えていると思います。テレビで「アダルト・チルドレン」の言葉が使われ、ACバッシングまで起きたのでした。詳しい経緯はわかりませんが、ACブームと相前後して1990年代に日本でACAとACODAが誕生したと考えて差し支えないでしょう。(なんか資料を持っている人がいたら教えてください)。

さて、アダルト・チルドレンはアメリカから輸入された文化ですから、アメリカではすでに1980年代にはいくつもACのグループが存在したそうです。何種類の団体がどれぐらいの規模で活動していたのか僕の手元に情報はありません。ただ一つ知っていることは、その中の一つACoA(アダルトチルドレン・オブ・アルコホーリックス)が今でも世界的に活動している、ということです。

ACoAが日本で活動を始めたのが数年前からです。

ACA・ACODA・ACoAという三つのグループがあると、比べてみたくなるのが人情というものです。それぞれのサイトを見ると、「ACの特徴」を表した文章が載ったページが見つかります。

ACA - 問題 - http://aca-japan.org/docs/problem.html

ACODA - 機能不全家庭で育ったことにより共通して持つようになったと思われる特徴 - http://www.acoda.org/problem.htm

ACoA - ランドリーリスト - https://sites.google.com/site/acoajpn/acais/laundry_list

この三つの文章はどれもよく似ています。ランドリーリストは、ACoAを作ったTonny A.が1978年に書いたものだそうですから、ACAとACODAの文章は、ランドリーリストを参考に日本で作られたのだと思われます。

見比べてみると、違いに気がつきます。ACODAとACAは13個、ACoAは14個あります。最後の項目を見ると、

ACA - 13. わたしたちは、自ら行動する人ではなく反応する人である。
ACODA - 13. 自らの意図で行動するより反応する傾向がある。
ACoA - 14. パラアルコホーリックは、自ら行動する人というよりも反応する人である。

そして、ACoAには(他にはない)13番目の項目として、

ACoA - 13. アルコール依存症は家族の病気である。私たちはパラアルコホーリックになり、たとえ自分は飲まなくてもその病気の特徴を受け継いでいる。

というのが含まれています。

ACoAでは、アダルト・チルドレン(AC)はパラアルコホーリックだとしています。para というのはこの場合は「擬似」という意味ですから、擬似アルコホーリクという意味です。ACは依存症にならなくても、その特徴を親から受け継いでしまっている、と自らを規定しているわけです。

AC=擬似アルコホーリクと捉えることで、シンプルになります。アルコホーリクが12ステップで回復できるのなら、擬似アルコホーリクであるACも同じ12ステップで回復できる、という理屈が成り立つのですから。

では、日本のACAやACODAは、なぜパラアルコホーリックという言葉を削除し、ACを擬似アルコホーリクと規定することを避けたのでしょうか。その事情を、ACAやACODAを作った人たちに聞いてみたい気がしますが、今のところ機会に恵まれていません。

ACの概念は、日本に渡来して早々に、「アルコホーリックの子」という概念から「機能不全家庭の子」という概念にシフトしてしまいました。この変化の影響を受けたのではないかと思います。親がアルコホーリクではない人たちが「自分はACだ」だと名乗りだしたときに、

「あなたは擬似アルコホーリクです」

と伝えることは、役に立たないと思われたのではないでしょうか。アルコホーリクは否認が強いとされますが、それを言うならACも否認が強いのです。その否認の強いACにとって「アル中もどき」というのは、なおさら認めがたいから、パラアルコホーリクという言葉を避けるという配慮だったのではないか・・・と想像するわけです。あくまで想像ですけどね。

ただ、ACの特徴から「擬似アルコホーリク」を抜き去ってしまったおかげで、シンプルさが失われた部分もあります。

ACはアル中とは違うから、違う12ステップが必要なんだ・・みたいな話が出てくるのも、シンプルさが失われて複雑化してしまったせいではないかと思うのです。

もちろんACはアルコホーリクではないんです(だってアルコール依存症ではないでしょ?)。でも、アルコホーリクの特徴を受け継いでいるからこそ、アルコホーリクと同じ部分に同じ12ステップが効く。AC=擬似アルコホーリクである。そう考えてみたら、視野が広がり、回復の道も見えてくるのじゃないでしょうか。


もくじ過去へ未来へ

by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


My追加