心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2012年11月26日(月) 高橋会長の思い出

もう10日ほど前になりますが、断酒会の高橋会長が亡くなりました。

会長その人の存在を知ったのは、僕がまだ飲んでいた頃でした。アルコール病棟の3ヶ月にはヒマな時間がたっぷりあります。患者たちは無駄話に興じ、その中には断酒会やAAの話題も含まれていました。

当時僕がAAについて知った伝聞情報は「黄色い小さな冊子を読み、神とか言い、自分はアル中だと名乗る謎の人々」というものでした。まあ間違ってる情報は無いかも。

高橋さんはある断酒会の会員だったのが、その会の運営が気に入らず、会を飛び出してみたものの、やはり自分には仲間が必要だと気付いて、自ら別の断酒会を始めたという噂でした。

AAには「彼は恨みとコーヒーポットを持って出ていった」という言葉があるそうです。グループの運営方針を巡って対立したメンバーの一方が、グループから出てしまう。けれど、一人で酒をやめ続けることは出来ないと気付き、やがて別のAAグループを始める。さらに時間が経つと、元のグループと連携して活動するようになる。アメリカではそんな風にしてAAグループが増えることが多かったのだそうです。もちろん日本も同様です。会長はそれを地で行ったのです。

実際に会長にお会いしたのは、僕の最後の入院中でした。会長は病棟のロビーを訪れて、タバコを吸っている患者に声をかけていました。僕も断酒会に誘われましたが、「すでにAAに行くことに心を決めています」と言ってお断りしました。

退院してAAに戻ったところ、スポンサーから「自分でAAグループを始めなさい」という提案をもらいました。まだソーバーだって1〜2ヶ月だし、他のメンバーもいないし、無茶すぎると思いましたが、何しろスポンサーの「提案」です。ともかく、会場やコーヒーセットやハンドブックを揃えて準備しました。

始める前に、県内のAAグループを回って「始めることになりましたんで、一つよろしく」と挨拶をしてまわりました。反応はだいたい一緒で、「ソーバーが短すぎる、せめて1〜2年やめてからにしろ」とか「他に一緒にやってくれる仲間はいないのか」と言われるのですが、スポンサーに言われたんでと言うと、皆さん「それじゃあ仕方ない」とおっしゃいまして、やっぱりそうなのかと。

ついでに、近在の断酒会にも挨拶に回った方が良いのじゃないかと思って、3カ所回った一つが、会長の断酒会でした。ただ、この時のことはあんまり憶えていません。断酒会しかなかったところへ初めて出来たAAでしたから、いわば異分子であり、その後のそちこちからAAに対する謂われのない非難も受けましたが、会長がそうした声を諫めてくれたとも聞いています。

それから十数年が断酒会ともその例会とも縁が薄いまま過ぎました。あるとき引き受けたスポンシーがどうにも不安定で、ヒマにさせておくと飲んでしまいそうでした。毎晩AAミーティングに出て欲しいのですが、東京や大阪のような大都市圏と違って、長野では毎日AAに行くことが難しく、どうしても空きの曜日が出来てしまいます。

そこでスポンシーに「その曜日は断酒会に行ってくれ」と伝えました。AAメンバーに断酒会に行けと言うと嫌がる人が多いのですが、この彼は素直に分かりましたと言うではありませんか。とは言うものの、そのまま送り込んで、何かトラブルがあってはいけません。最初の一回は一緒に行って、これからこの人に通ってもらいますのでよろしく、と挨拶することにしました。

十数年ぶりの例会でした。僕が出席簿に書いた住所名前と僕の顔を見て、会長が「ずいぶん前に一回来ただろう」と言われたのでビックリしました。そんな昔に一、二回会ったきりの人を憶えているとは、これは常人ではないだろうと(少なくとも僕には出来ない)。

それからスポンシーもよく面倒を見てもらいました。またスポンシーの家族もその断酒会に通うようになりました。当地はアラノンの活動が不活発なので、家族が通えるグループがなかなかありません。会長の断酒会は家族の出席が多く、それによるスポンシーの家族の変化が、スポンシーのソブラエティの助けになったことは間違いありません。(個人的には家族の出席が多い断酒会は良い雰囲気だと思います)。

それからは僕の関わる別の団体のセミナー関係でお世話になり、年に何度かは例会に出席するようになりました。いつ行っても盛会で、会の運営もいろいろ勉強になりました。

過去には会長が会を割って出たことに対して他の会から非難もあったそうですが、やがては推されて県断連の会長も務めたと聞いています。それを降りた後に、新聞記事にもなった金銭トラブルが起き、事態の収拾のために再び会長に推されました。警察との折衝など、かなりお疲れの様子がうかがえ、心配したものです。

会長がガンで入院して、余命に限りありと聞いたときは残念でした。幸い定期的に退院して家に戻ると知り(それがさらに命の限りを感じさせるわけですが)、僕らのホームグループのミーティングに会長ご夫妻をお招きして、1時間ほど話を伺う機会を作りました。(奥様の話のほうが人気?でしたけど)。

その後で質疑応答みたいな時間を設けたのですが、メンバーの一人が「アル中に接するときに気をつけていることは」と聞いたところ、「相手が酒をやめていることに尊敬の気持ちを持つことだ」という答えでした。相手が一日しか酒をやめていなくても、その努力を認めてやり、敬意を持てば、それは必ず相手に伝わる、という話でした。

口ではどんな厳しいことを言っていても、心の中で相手を努力を尊重する気持ちは、必ず相手に伝わる(ただし、伝わるのにずいぶん時間がかかることもあるが)というのは、僕も同じ気持ちです。

会長が表彰を受けたという話は僕も喜びました。
http://www.ieji.org/dilemma/2011/12/post-374.html

ある医師が、僕の最近の活動を評して「高橋会長の若い頃に似ている」と言ったと伝え聞いたときは、正直嬉しかった。偉大な先輩に例えられるのは悪くない気分です。ただ、正直、あそこまでのことはできない、とも思いますが。

病院にお見舞いに行けたのはつい先頃でした。すでに認知症が進んでいて、僕のことは憶えてらっしゃらいませんでした。共通の知人(他の断酒会の会長さんとか)の話をしましたが、その人たちもすでに故人です。お別れ会には多くの人が集まったと聞いていますが、僕は出張で行けず、スポンシーに香典を持たせただけでした。

十数年前、断酒会は活発でした。会の支部ができ、その支部が独立して一つの会になり、またその支部が出来る・・と広がっていきました。現在では残念なことに高齢化が進み、後継者不足が深刻だそうです。すでに活動をやめ休会になったところもあります。でもそのぶんのアルコホーリクをAAが吸収できているわけではありません。難しい時代になったものだと思います。

下手に墓参りになど行こうものなら、そんな時間があったら生きている人間のために何かやれ、とあの世から叱られそうな気がします。あと人間にはロールモデルが必要なんだということね。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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