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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2012年10月25日(木) 平凡な存在 僕は特別なAAメンバーではありません。
例えば、ソーバー(酒を飲まないでいる)期間の長さで言えば、僕より長くやめ続けている人はAAには結構たくさんいます。30年という人に比べれば、僕はまだヒヨッコです。
頭の良さでは、AAには僕よりずっと高学歴の人はたくさんいるし、東大卒の人もそんなに珍しくありません。
僕の収入は多くはありませんが、人並み以上に稼いでいる人もいるし、専門的職業や一流企業に勤めている人もいます。
人気があるAAメンバーなら、その人のバースディミーティングには何十人と集まり、部屋に入りきれなくなったりしますが、僕のバースディミーティングは、いつものミーティングとそれほど変わりません。
12ステップの理解という点でも、当然僕より進歩している人はいます(皆さんその点は謙遜されますけど)。
また、特に素直でやる気があるわけでもなく、AAに来た頃は普通のビギナーでした。つまり、恨みがましく、ヒガミっぽく。酒は自分の力でやめてみせる。誰の助けも要らない、と思っていたわけです。
人格を磨くという面でも、僕より立派な人たちはたくさんいるでしょう。
いろんな意味で、僕は特別なAAメンバーではなく、普通のありきたりなAAメンバーです。
今の日本のAAは長くAAを続ける人が少ないため、相対的にビギナーの占める割合が多くなっています(10年経ってもビギナーみたいな人はいるけど)。さすがに僕もビギナー期に比べれば多少進歩したとは思います。AAに残り続ける人というのは、その人それぞれにAAを理解し、魅力を感じているからこそ残っているわけです。そうした人たちの中にあって、僕は特別ではない、ということです。
おそらく僕はネットでの露出機会が多いために、相対的に目立っているだけなのでしょう。
さて、AAには「二本足をハイヤーパワーにしてはいけない」という言葉があります。ハイヤーパワーとは人ならざるものであり、人をハイヤーパワーとして扱ってはいけない、ということです。こういう言葉が存在するということは、人は人を神格化しやすいということを意味します。
神というのは曖昧な概念です。曖昧な概念を把握するのは面倒です。それが人として形を取って存在しているのなら簡単で良い。だから人を神さまにして、「あの人がいるから安心だ」「あの人の後をついていけば良い」と考えたくなるものです。
回復に成功した人の足跡をたどる、というのが基本路線です。ただ、相手も人間ですから、間違いも犯します。神ではないのです。最初はスポンサーや仲間をハイヤーパワーにするのも良いけれど、回復が進んでいけば、他の人でも自分自身でもない「力」を見つけなければなりません。
また、多少目立っているメンバーを見つけて、「あいつは分かっちゃいない」「回復していない」と叩くのも、逆のパターンの神格化です。スケプチシスト(懐疑主義者)はどこにでもいます。「自分だけはわかっている」という自分を特別に扱いたい気持ちが、そうした批判の出所です。
ビッグブックのp.178に「台座にたてまつる」という言葉がありますが、人は(肯定的でも否定的でも)誰かを台座に奉って崇めて安心したがるものなのでしょう。また、批判という奉り方もあるということです。
AAに残り続け、メンバーの相手をしていれば、時に自分が神格化の対象にされている気付かされます。長い人でそういう経験を持たない人はいないでしょう。尊敬されて有頂天になってみたり、批判されて気に病んでみたり。自分への評価を操作しようと試みて、結局は相手に振り回されてみたり。それが嫌でAAをやめていった人もいませんかね。
やがては、そうやって人に振り回されるのは、自分の回復が足りないからだと気付くようになります。AAとはつまるところ、人を助ける行動を通じて自分を助けるものです。相手が回復するかどうかは確かなものではありませんが、努力していれば少なくとも自分の回復はより確かなものになります。そこが大事です。
時には相手が回復して、自分に良い評価が与えられることもあります。それは秋の味覚としてありがたく頂戴すれば良いのですが、それが目的ではないのは忘れちゃなりません。
批判の内容は的外れなものも多いのですが、そうした中にも有益な示唆が含まれている場合も多いので、その部分は自分を改めれば良いのです。まったく不当な批判もあるでしょうが、それを捨て置けずに敵意を持ってしまうのは自分の問題です。
「批判されないということは、何もしていないということだ」
これはスポンサーが与えてくれた言葉です。目立つために努力しているわけではなくとも、努力を続けていれば、どこかでなにがしかの注目を浴びることは避けられません。そして注目は批判を呼ぶものです。批判されることを気に病むよりも、まったく批判されないことを気に病むべきなのだと。(ある意味批判もご褒美なのかも)。逆風が強いときは頭を低くする古来からの知恵を使えばいいんだし。
こうして、盲信や懐疑主義の罠をくぐり抜け、自分がそれに振り回される時期を過ぎると、他の人と尊敬をベースにした対等な人間関係を築く能力がついてきます。そうした関係の中にあって、「自分が特別な存在である」必要は感じません。本当の意味での仲間意識が育ってくるものだと思います。
12&12のステップ12には「仲間の間で特に抜きん出た人間になる必要はない」ということへの気づきが書かれています(p.165)。若い頃に成功を追い求めたビル・Wだからこその文章かもしれません。AAの中で彼ほど注目を浴びた人は他にいないでしょう。また、先頭に立ってAA全体を導いていかねばならない、というプレッシャーもあったことでしょう。その彼が得た答えが「特別な存在になる必要はない」というものでした。
真の野心とは、人々の中で特別な存在になりたいと思うこととは違うはずです。僕はたくさんいるAAメンバーの中で平凡な存在に過ぎません。そのことに深い感謝があります。
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メールをいただきました眞美様へ。
書いていただいたメールアドレスが間違っていたようで、こちらから出した返信が届かなかったようです。お知らせまで。
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