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2012年10月22日(月) AAのニックネーム

日本のAAメンバーのかなりの割合がニックネームを使っています。例えば僕は「ひいらぎ」と名乗っています。これは実名とは何の関係もありません。

ニックネームを使う習慣は日本のAA独自のもので、他の国のAAでは珍しいそうです。他の国のAAではニックネームを使わず、ファーストネーム(名字ではなく名前の部分)かフルネーム(実名)を使っているそうです。

この日本独自のニックネームという習慣は、日本のAAの始まりの頃に誕生したのだそうです。

日本語のAAが始まる前にも、米軍キャンプを中心に英語のミーティングが行われていました。ミニーさんとピーターさんの二人が日本語のAAミーティングを始めた時、英語グループの人たちがミーティングに参加してくれました(通訳は二人がしていたそうです)。英語のメンバーたちは当然お互いをファーストネームで呼び合いました。

そのミーティングに参加するようになった日本人メンバーたちは、「AAとはファーストネームで呼び合うところだ」と解釈し、自分たちに英語風のニックネームつけ呼び合うようになったのが始まりだと伝えられています。

時代が下ると、英語風のものばかりではなく、珍妙なニックネームを名乗るメンバーが増えました。一部には、ニックネームを使うこと自体が自助グループの習慣であるとか、それがアノニミティ(無名性)の実践であると解釈している人もいるようです。それは勘違いです。AA内部ではフルネームを名乗ってもちっともかまいません。(問題になるのは、AAの外で、しかも活字や放送やネットにおいて、AAメンバーであることと実名を同時に明かすことです――伝統11)。

依存症という病気には偏見があるので、AAにやってきたビギナーはこの病気を恥辱だと感じています。また、人とすぐに打ち解けられないタイプの人も少なくありません。だから、ビギナーが自分の身元を伏せておきたいと願うのは珍しいことではないし、住所や名前を聞かれないことで安心する人も多くいます。しかし、いつまでも身元を伏せ続けなければならない、というわけではなく、多くの人は、相応しいときに情報を明らかにしていくようになります。

最近では、奇妙なニックネームを使う人がやや減り、若い人たちを中心にファーストネームを使う人が増えてきました。つまり名字ではなく、名前の部分を使う人たちです。悪いことではありませんが、おかげで、女性のニックネームが憶えづらくなりました。だってそうでしょう?

ゆきえ、ゆきこ、ゆき、ゆり、えり、えりこ、りえこ・・・どうやってこの違いを憶えろと?

おそらく新しい世代が増えて行くにつれて、ファーストネームや名字の部分を使う人たちが増え、本名と無関係なニックネームを使う人は徐々に減るだろうと思います。しかし、この習慣はなくならないだろうとも思うし、それが特に悪いことだとも思いません。

以下は、先日僕が送ったメールの一部です。

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日本のAAメンバーが、本名とはまるで関連のないニックネームを使っていることについて、一つ私の経験を述べさせてください。

私は工場で使われる機器を販売する会社に勤めており、顧客の多くはアジア圏です。技術職なので、顧客と直接接する機会は多くありませんが、年に何回かは会わねばなりません。

中国人の名刺をいただくと、ピートとかトミーというニックネームがつけられていることがあります。中国語の発音は難しいので、外国人に中国名を無理に読ませて混乱を招くより、呼びやすい英語風のニックネームをつけてしまっているのです。

ところが、このピートやトミーという名前が、元の名前とアルファベット1文字ぐらいしか一致していないのです。(例えば私だったら、Susumu という名前からサミーとかになるかもしれない)。

こうしたビジネスの習慣が中国全体でポピュラーなものなのかどうか知りません。しかし、外国人と頻繁に取引のある中国人の間で受け入れられているようです。

私がこうした習慣に接したときに、内心反発を感じました。だって、どう見ても我々日本人とあまり変わらないアジア顔の中国人が、ピートとかミッチェルとかいう欧米名を名乗っているのですから「ふざけんな!」という気持ちを持ってしまいました。

私はそうした気持ちを言葉に出すことはしませんでしたが、まず間違いなく相手に伝わっていたでしょう。でも、彼らはそれについては何も言いませんでした。きっと、私のような反応をする人は珍しくないに違いありません。

人は異文化に接したときに、不合理な拒絶をすることがしばしばあります。それは自分が慣れ親しんだことと違うからです。しかし、やがてそれに親しむようになると、理解の幅が広がり、拒絶は取り除かれていきます。

中国人ビジネスマンたちは、私の表に出てしまった反発心をとがめることはなく、またそれに迎合することもなく、むしろ寛容と開かれた心で受け止めてくれました。今ではそれに感謝しています。

私は外国のAAメンバーに接する機会はあまりありませんが、それでもたまには接することもあります。そして、彼らが日本人AAメンバーが使っているニックネームの文化に触れたとき、戸惑ったような顔をするのも経験しています。それは異文化との出会いです。

その時私は、その戸惑いをとがめることはしませんし、また迎合することもしません。以前中国人ビジネスマンが私に示してくれたのと同じ、開かれた心と寛容さでもって受け止めようと務めています。私がそうであったように、やがては彼らも日本の習慣に親しみ、理解の幅が広がり、拒絶が取り除かれていくでしょう。実際そうなる様子を、私は何度も見てきているからです。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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