心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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2012年02月09日(木) 情報メディアと人間の不安

毎年年末には「心の家路」のWebalizerのデータをまとめているのですが、昨年末は忙しくて手が回らなかったので、今頃になってまとめです。

2011年一年間の統計データ
送出バイト数 54.6Gbytes
訪問者数 63万2千
リクエストページ数 298万
リクエストファイル数 445万
リクエスト数 510万

一日あたりの訪問者数は、以前は2,000人/日ぐらいだったのですが、昨年は1,700人/日ぐらいまで落ちています。日々雑記の更新頻度がすっかり落ちてしまったのと、FC2ブログに同じ内容を載せているので、そちらを見ている人はカウント数に入ってないことも影響しているのでしょう(スマホから見るのであればFC2のほうが見やすいし)。

ただ今年に入って少し増えて、また2,000人/日ぐらいに戻っています(謎)。

(人/日といっても、検索エンジンのロボットも含まれており、実際の人間を数えているわけではないので、それは割り引いて考えてください)

さて、話題を変えて。昨年3月11日以降、多くの人が感じたことのひとつは「マスメディアへの失望」ではないでしょうか。政府や電力会社が情報を隠蔽しているのではないか、そして新聞・テレビ・ラジオなどのマスメディアは、その隠蔽に加担しているのではないか、という疑いが生まれました。いわば、メディアの公平性への失望でしょうか。

多くの人たちが見落としているのは、新聞であれ、テレビであれ、企業が運営しているということです。営利である限り、売り上げが必要です。毎年8月15日になると戦争反対の論陣を張る新聞ですら、第二次大戦中には翼賛体制の中に組み込まれていました。百人、千人単位の雇用や、会社やメディアの存続を考えたとき、それ以外に選択肢はありませんでした。

新聞は購読料だけでは成り立たないので広告主が必要です。ましてテレビ・ラジオの民放ともなれば、収入の大部分を広告料が占めます。メディア各社にとって「大事なお客様」とは購読者・視聴者ではなく、広告主です。コンテンツに広告主の意向に従ったバイアスがかかるのは当然のことです。

では民間企業ではない国営メディアはどうかといえば、当然政府の介入があります。

純粋に購読料や視聴料だけで成り立っているメディアがあれば、もっと公平性が担保されるかもしれません。しかし、ニュース専門チャンネルの加入数が伸びないところを見ると、どうやら人々は公平性に金を払うだけの価値を認めていない、ということになります。

フィルターのかかっていない情報が見たければ、2ちゃんねるやTwitterがあります。ただし、そこにある情報は玉石混淆で、真偽は受け取る側が判断しなければなりません。基本的な情報リテラシを養う教育も施されない中で、人々に自己責任ばかり求めるのは酷だと感じます。

反原発デモがニュースに取り上げられないことを、酷い話だと言った人がいましたが、公平性を期待すること自体が間違っているという視点は持っていないようでした。そもそも公平性とは何か。反原発デモがニュースに取り上げられないと言っていた人も、某宗教系政党が行った人数がより多いデモがメディア各社にまったく無視されたことには憤りを感じないだろうと思います。

そもそも、人はフィルターのかかっていない情報に価値を認めていない側面があります。最もフィルターの少ない報道として挙げられるのが、NHKの国会中継です。あれはフィルターやバイアスが皆無とは言いませんが、他の番組に比べれば格段に少ない。しかし、国会中継の放送が面白くて、好きで好きでたまらないという人にはお目にかかったことがありません。

人々はフィルターを経てバイアスがかかった情報を欲しがっています。ただ、そのバイアスのかかり方が自分好みであるかどうかが気になります。だから昨年起きたことは、大手メディアの信頼性への失望ではなく、大手メディアが自分の好みのバイアスがかかった情報を提供してくれない事への失望だったと言い換えることができます。

3月原発事故以降、放射線関係の書籍の売り上げが大幅に伸びました。それはビジネスチャンスでした。ところが、出版関係の人のブログによれば、そのブームも夏には沈静化してしまったそうです。人々の関心の移ろいは早いものです。しかし、来月は事故の一周年にあたります。再びビジネスチャンス到来です。おそらく皆さん商売に精を出されることでしょう。商売はそんなに悪いことではないと思うのです。

ここで「そんなに」悪いことではない、と限定を付けたのは、実は結構悪いことも起きるからです。

いまの日本はモノがあふれており、そんな中で商売をするには、人々の不安を煽るに限ります。つまり、髪の毛が薄くなるのは良くありませんよ、と不安を煽れば、育毛剤やカツラが売れます。インポテンツが良くないと不安を煽ればバイアグラが売れます。結婚できないのは良くないと不安を煽れば、婚活産業が流行ります。ほら、これを手に入れないあなたは不幸です。不幸であることも知らないなんて、可哀想なあなた・・、というメッセージであふれています。原発事故や放射線関係の出版や放送も、この不安を煽るという手法にうまくマッチしています。

解消できない不安は、精神に対しても、肉体に対しても、健康を害することが知られています。「ヤマアラシのジレンマ」のブログの方に二つほどあげておきましたが、実はチェルノブイリの原発事故では、放射性物質による外部被曝・内部被曝による健康被害よりも、放射線による健康被害が強調されるあまり人々が不安に陥った事による被害のほうが深刻だった、という見積もりがあります。

福島の事故ではどうかは後年の検証を待たねばなりませんが、原発事故がもたらした被害より、人々の不安を煽る情報が流布した事による健康被害のほうが大きくなると予測します。というのも、チェルノブイリの時代よりも情報メディアが発達し、人々が不安な情報に触れる機会が増えているからです。(もちろん個々の例でいえば、直接被害のほうが大きい例はたくさんあるでしょうが、全体としての話)。

東京電力は商売の上で健康被害をもたらしたことで激しく非難されています。それは非難されて当然です。しかし、同じく大きく健康被害をもたらしている商売が非難されることはありません。(善意において不安情報を拡大している人たちはどうか)。

パソコンが誕生し、インターネットや携帯電話、FacebookやTwitterとメディアは進歩を続けてきました。しかし、メディアが人間にもたらす混乱は、僕が30年近く前に大学で情報について学んでいた時代とまったく変わっていません。なぜなら、メディアは変わろうとも、人間はちっとも変わっていないからです。おそらく、千年後も(人類が滅亡していなければ)変わらないでしょう。

メディアの問題なのではなく、それに接する人間の側の問題なのです。つまり自分の問題というわけですが、多くの人はそれを自分の問題として捉えていません。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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