心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2011年10月18日(火) どこから手を付けるべきか(その4)

発達障害のことに首をつっこむようになって1年半が過ぎました。まだまだこの分野では駆け出しです。というかそもそも素人だし。(でも、素人だという言い訳はいつまでも通用するものじゃありません)。

発達障害の種類・重複概念

発達障害の種類・重複概念
http://www.ieji.org/dilemma/2011/10/post-359.html

AAのミーティングは、話をしてくれる他者の体験と、話を聞いている自分の体験を重ね合わせることが、ひとつの技法になっています。
単純な例を挙げれば、誰かが酒で家族に迷惑をかけた話をするのを聞けば、自分も以前家族に酒で迷惑をかけた経験が思い出され、その話をすると、次の人も似たような話をする・・、そうやって「どんなに家族に迷惑をかけても、酒を断てなかった自分」という共感がミーティング会場を覆っていきます。自分とまったく同じ体験をした人はいませんが、似たような体験を持った人は必ずいるものです。

AAに限らず、ピア・サポート・グループと呼ばれるピア(同じ立場の人)が集まるところでは同じ事でしょう。だから、禁酒セラピーの本の話などしちゃいかんわけです。

ところがこの共感を持って体験を重ね合わせることが苦手な人がいます。みんながどんな話をしていようが、お構いなしに自分のしたい話をしてしまいます。もしミーティングがこういう人ばかりになってしまったら、順番にてんでんばらばらの話をするだけで終わってしまい、経験と力と希望の「分かち合い」になりません。

こういう人はAAでどんな評価を受けるでしょう。「正直になれない」「自分が振り返られない」「自省ができない」。専門の医療機関にかかってもらえば、おそらく広汎性発達障害(PDD)のどれかの診断が出てくるでしょう。PDDの人は、人の気持ちを察するのが苦手なので、人の話を聞くことで過去を再体験することもやっぱり苦手です。

彼らは「圧倒的に現在に生きて」いるために、過去における感情を思い起こすことも苦手です。その割には被害体験はばっちり記憶していて、恨みの感情もきちんと存在します。ところが受けた恩義は忘れてしまっているために、恩知らずと見なされてしまったりします。

これはひとつの例に過ぎず、広汎性というだけあって、現れ方はおそらく様々です。

定型発達者であれば様々なAAミーティングに多数出席することが有効ですが、広汎性の人はそうとは限りません。むしろ、地元のミーティングに定期的に出席を続けるルーティンを守ったほうが確実です。12ステップは長年積み重ねた被害的認知を取り除くには有効でしょうが、器質の問題を解決できるわけではありません。感じられないものを「感じるようになれ」と言っても無理なことなので、グランディンの言う、テレビの外国語講座の場面を丸憶えするように、対人関係のこの場面ではこう受け答えする、という社会的スキルを学習する手助けをすることが有効でしょう。(その上で、受け答えに心がこもっていないとか非難するのは定型者のわがままだと思う)。

発達障害とアディクションの関係については、まだよく分からないこともたくさんあります。もとより、成人の発達障害が社会的に取り上げられるようになったのは、ここ数年のことに過ぎません。もちろん見えてきたこともあります。

広汎性発達障害(自閉圏)の人は「こだわり」を持ちます。ある一つの物事に興味や関心が集中してしまうことです。その「こだわり」が飲酒に向いて酒ばかり飲んでいたら、それは依存症と見なされてしまうかも知れません。AAの中でも、どうもこの人の飲酒体験はアディクションの渇望じゃなくて、自閉のこだわりなのじゃないか、と思わせる話を聞くこともがあります。その場合は、ミーティングやステップという枠組み自体がその人の問題と合致していないことになります。

実は自閉圏の人の「こだわり」は、長期に一つのことを対象にするとは限らず、関心の対象が別のことに移ろっていきます。すると、ある時期には飲酒にこだわって飲んだくれていた人が、関心が酒以外に移ろうと、もう酒には見向きもせず、飲みたい欲求すら持たなくなります(そして、また関心が酒に戻る)。こういう人は、時期が来れば簡単に酒をやめますが、再飲酒を防ぐ力は弱いものです。

どうやらアルコール依存症と診断された人の中に、広汎性発達障害の人が混じっているのは間違いなさそうです。その比率がどれくらいなのかは分かりません。また、依存症は(発達障害とはまた別の)器質的問題ですから、飲み始めたのが「こだわり」ゆえだったにせよ、二次障害の自己治療だったにせよ、大量に飲酒を続ければ、やがては依存症を併発する人も少なくないでしょう。その場合、アディクションと発達障害の重複ということになります。

ギャンブル問題の支援をしている人によれば、ギャンブル依存とみなされている人たちに発達障害を持った人が多いのだそうです。広汎性の人は視覚的な刺激を好みます。子供の頃はゲーム機を、大人になってからは液晶画面のついたパチンコやパチスロに「こだわり」を発揮します。アル中はアルコールが入ってさえいれば飲む酒の種類は選びません。同様にギャンブル依存もギャンブルの種類を問いません。しかし、広汎性の人は自分の選んだジャンルにこだわります。こういう人がギャンブル依存症とされてしまうのは、いわば誤診であり、GAや12ステップに導かれてしまうのは悲劇でもあります。むしろ、社会的スキルの習得や、就労支援を必要としているのですから。

広汎性(自閉圏)の事ばかり述べてきましたが、ADHDやLDはどうか。

実のところ、僕は純粋にアダルトADHDという人にお会いしたことがありません。ADHDを自認する人もいますが、広汎性との重複であり、その場合広汎性の問題が優越します。(アディクションそのものがややADHD的であり、ADHDオンリーの人はその中に埋没してしまうのかも知れません)。

LDについても気がつくことがあります。特にAAではミーティングで本を読むことが多いのでディスレクシア(識字障害)は目立ちます。輪読で、単語や行を読み飛ばしてしまったり、同じ行を二度・三度読んだりする人がいます。おそらくご本人は、自分は勉強が苦手だったので頭が悪いと感じてらっしゃるんでしょうが、知的レベルとは関係ないはずです。もちろんすでに社会に適応している人に「あなたLDでは?」とお節介をやくことはしません。

これまで4回に渡って「アディクションとして扱うよりは別のアプローチを」という話をしてきました。統合失調・知的障害・発達障害と続けると、次に人格障害を挙げる人もいます。アメリカの文献を見ると、境界性人格障害(いわゆるボーダー)は大量飲酒を引き起こしやすいとあり、実際そういう事例を相手に大変な思いをしている人の話も聞きます。でも残念なことに(いや残念ではないが)僕の周りにはいないみたいのなので省略させていただきます。(統合失調・知的障害・発達障害とふるいにかけていくと、最後の人格障害にはいくらも残らないのじゃないかという気がします)。

以前に比べてアディクションに対する社会の認知は広がってきました。それはうれしいことですが、その分、大酒を飲んでいれば何でもアルコール依存症、ギャンブルに没頭していればなんでもギャンブル依存症、という安易な診断や決めつけが増えてしまったのも事実です。そうして、自助グループや12ステップの押しつけが行われています。

その人がどんな問題を抱えていて、どんな苦手があって、どんな手助けを必要としているか。その手助けは12ステップやミーティングとは限りません。「見分ける賢さ」を身につけることが求められています。

最近、生活保護を受給しながら酒やギャンブルに耽る人たちを取り上げたニュースが流れていました。これまでの4回を読んでいただいた方ならば、その人たちの問題がアディクションとは限らないことに思い至っていただけることと思います。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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