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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2011年07月28日(木) 治癒はないが回復はある。では回復とは? アルコール依存症における治癒(cure)とは、飲酒がコントロールできるようになることを意味するのでしょう。ホワイト先生の『米国アディクション列伝』という本を読むと、アメリカではこの治癒を実現する様々な治療法が編み出されましたが、すべて歴史の中に消えていきました。数少ない事例ではうまくいっても、その手段が公表され多数に試されると、とたんにその有効性が失われてしまう・・・まるで競馬の必勝法のようなものです。結果として、今のところ依存症を治癒させる方法はない、という考え方がコンセンサスを得ています。
「唯一の解決法は、まったく飲まないことしかないと言わざるをえない」(AA, p.xxxviii)
「治癒(cure)はないが、回復(recovery)することはできる」という言葉を使い出したのは、AAの創始者の一人ドクター・ボブと一緒に活動した看護婦シスター・イグナシアだそうです。
アルコール依存症者が正常な飲酒に戻れる(つまり治癒可能)というのは、当時根強く残っていた偏見です。この偏見は現在もあります。この偏見を解かなければ、依存症者は正常な飲酒に戻ろうと再飲酒を繰り返してしまいます。「治癒は不可能だが、回復は可能」というのは、偏見を脱学習させるために彼女が考え出した表現ということです。それが世界中に広がり、現在でも使われています。
では、その「回復」とは何でしょうか?
思い出して頂きたいのは、ドクター・ボブやシスター・イグナシアが入院患者に施していたのは「12ステップ」という治療法だったことです。つまり彼らの言う「回復」とは、12ステップによって霊的な経験を経た結果、再飲酒の可能性を心配しなくて良くなった状態を指しています。
「再飲酒に対する心配をしなくて良い状態」という話をすると長くなりますから、AAのA類常任理事をされた大河原先生が書いた文章があるので、そちらを参考にしてください。
http://aajso.web.infoseek.co.jp/newsletter/n141.pdf
アル中が酒をやめていても、例えばこんなことをしたらその人が再飲酒してしまうのではないか・・飲まれてしまうと後々いろいろと面倒だから、それを避けるために周囲の人がいろいろと配慮を積み重ねる必要があるならば、それはまだ「回復」とか「酒がやめられた状態」とは言いにくいものです。
AAを始めた人たちは、その状態が霊的な経験を経ることによってもたらされると考えていました。ただし、霊的経験を得る手段が12ステップしかないとは言いませんでしたが。(しかしながら、なぜに12ステップが良いのか、という話はまた別の機会に)。
さらには、その「回復」は一度実現すれば自動的に一生保たれるものではありません。メンテナンスが必要であり、それを怠れば回復は衰えていき、しまいには再飲酒が起こりえます。
そんなふうに、AAの人たちが「回復」という言葉を使い出したときには、その意味はかなり限定されたものでした。しかし、時代を経るとその言葉の意味も拡散していきました。もはや回復とは何か、すべてを包括して定義することなどできなくなっています。AAにはAAの回復の定義がありますが、例えば一人で断酒している人にはその人なりの回復の定義があるのでしょう。
そうなると、回復とは「何でもあり」であり、自分が回復したと言えば回復したことになってしまうわけです。それはそれで構わないのかも知れません。しかし、アルコール依存症のケアに長くたずさわっている人たは、「回復とは何か」について言語化しづらい何らかのイメージ(回復像とでも言うもの)を持っており、それは人に寄らずある程度共通していると言えます。それに合致しているかどうかで、回復している・していないが判断されるのも確かなことです。
結局のところ、回復とは何かを知るためには、自分が回復してみるのが一番であるし、また自分が依存症でなくても依存症の人の回復に長く付き合えば自然と分かってくるものだと思います。
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