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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2010年09月27日(月) 共依存=支配とコントロール アルコール依存の人が酒をやめると共依存の症状が残る、というのがこのギョーカイの標準的な理解なのだそうです。
共依存とは「世話焼き」のことだと言う人がいます。例えばアル中の旦那を持つ奥さんが、旦那が酒を飲んで起こしたトラブルの後始末をするのが世話焼きです。二日酔いで体調が悪い夫のかわりに職場に休む連絡をしてあげる。酔って帰宅し玄関で寝てしまった夫を布団まで連れて行く。夫が外で人様にかけた迷惑をかわりに謝ったり弁償したりする。・・・これが共依存であると解釈すると、「酒をやめた後に共依存が残る」という言葉が理解できなくなります。
なぜなら、アル中さんは酒をやめたからといって、誰かの世話焼きを強烈に行うことはあまりないからです。(AAメンバーが誰かのスポンサーになればあるかもしれないけど)。
共依存の本質は世話焼きではなく、支配とコントロールです。奥さんたちは「世話焼き」という手段によって、酒を飲んでいる旦那をコントロールし、状況全体を支配しようとしているわけです。アル中本人が酒によって万能感を味わおうとするように、共依存の人は世話を焼くことによって万能感を実現しようとします。アルコール依存症では酒を飲むことが原因ではなく症状であるのに対し、共依存の場合には世話焼きが症状ということです。
酒をやめたアル中さんたちは、(あまり人の世話は焼きたがらないが)状況全体を支配し、コントロールしたいという欲が出ます。そのために、自分の考えが一番であり、人の言うことは聞きたくない。「アル中は・・・である」とひとくくりにされたくない。こいつらまるでわかっちゃいねえバカばっかり、オレの言うことを聞いていればいいのに、になってしまうわけです。
なぜ支配すること、コントロールすることを望むのか。それは自分の中の満たされない欲求を満たそうと努めるからです。ステップ4ではその様々な欲求に「本能」という名前を付け、自分の欲望のアンバランスさを分析していきます。
しかし、自分の共依存の問題を解決しようとするならば、ステップ4以前に、まずその問題を抱えていることを自分に対して認めねばなりません。アル中が飲酒をコントロールしようとして失敗を重ね、最後にアルコールへの無力を認めるように、共依存でも状況をコントロールし、人を支配しようとして失敗を繰り返す自分を自覚し、状況に対して無力を認めることから始めなくてはなりません。
そのためにも、共依存=世話焼きと表現することをやめ、共依存=支配とコントロールという文脈を使っていく必要があります。
ACの問題も共依存です。アル中本人と同じで、ACも症状が世話焼きとは限りません。「ACの特徴」というのを検討してみれば、過剰に物事を推測すること、自分を過剰に批判すること、責任を取りすぎること、取らなさすぎることなどなど、それぞれが自分を取り巻く状況を支配しコントロールするためのものであることがわかります。
しかしながらACの人たちは、状況に対する無力を認めるにしても、自分が状況をコントロールし、人を支配しようとして失敗を繰り返している無力ではなく、自分が状況の犠牲者であるからこそ無力だと感じがちです。これではステップ1にならず、後のステップへも進みません。「誰かを悪者にし、状況の被害者をやっているうちは回復しない」と言われるゆえんです。(むろん虐待などで被害を受けた傷のケアとは別の話)。
アル中さんたちが、アルコールの問題から目をそらそうとするように、共依存の人たち(親や奥さんやACの人)は自分に支配とコントロールへの強い渇望があることから、目をそらそうとします。それが「世話焼き」という言い換えとして現れてくるわけです。依存症の人は問題に対する否認が強いのですが、それは共依存やACでも全く同じです。
あるACの人が(その人も回復歴は長いのですが)「自分はACだから準備も完ぺき主義なんです」と言っていたのですが、それを聞いた僕は反射的に心の中で「自分はACだからコントロール欲が強く、完ぺきな準備をすることで状況を支配したいのです」と言葉を置き換えたのでありました。
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