ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ|過去へ|未来へ
2010年09月21日(火) 「言いっぱなし聞きっぱなし」だけでは回復しない 自助グループの多くは「言いっぱなし聞きっぱなし」を採用しています。
「言いっぱなし聞きっぱなし」と言われても、自助グループになじみのない人は何のことだか分かりません。言いっぱなしという日本語はあっても、聞きっぱなしという単語は普通使いませんから。「言いっぱなし聞きっぱなし」というのは、自助グループのジャーゴン(専門用語)であり、内部で使うべきもので、一般に向けて使う言葉ではありません。
これは crosstalk の禁止という意味です。ミーティングで誰かが離したことに対して、直接意見や質問をしないというルールです。
例えば誰かが「酒は飲んでいないが昨日の晩も妻を殴ってしまった」と語ったとしても、それに対して「DVは犯罪だよ」とか「殴られる者の気持ちになってみろ」などと言わないわけです。そのかわり、自分も昔は殴っていた経験とか、それがなぜ止まったのかとか、子供の頃に親に殴られ続けた経験などを話しても良いし、あるいは平然とスルーして自分の話したいことを話します。
人は肯定され、受容されるのを好むものです。批判されたり否定されるのを好む人はいません。だからクロストークがあると、人はそこから遠ざかるようになり、自助グループとして成立しなくなってしまいます。
ましてや、依存症の人たちは(ACの人たちも)自己中心ですから、たとえ建設的で自分の回復の役に立つ意見であっても、指示を受けることを好みません。指示を受けられないで、自分で自分の誤りに「気づいて」修正していくしかありません。
しかし、自助グループが「言いっぱなし聞きっぱなし」だけで機能するかと、そんなことは決してありません。なぜなら「言いっぱなし聞きっぱなし」というのは自助グループの中のローカルルールであり、社会はそうなっていないからです。仕事で上司から指示を受けて「あなたの言いたいことは分かるが、私はそれをやりたくないのでやらない」などと言っていたら雇ってもらえないわけです。社会復帰のためには、やりたい・やりたくない、ではなくやる必要があることをやらなくてはならないからです。
そもそも回復のためには、やりたくないことも、必要であればしなくてはなりません。
自助グループの多くが採用している12のステップは、やりたいようにやるものではなく、スポンサーの指示を受けながら、その通りにやった時に効果が出るようにデザインされています。やりたい部分だけやる、とか、自分の解釈でやる、というのでは本来の効果が出てきません。
自助グループというのは、「言いっぱなし聞きっぱなし」の非指示的なミーティングと、強力に指示的なスポンサーシップの二つを両輪として進むようになっており、片方だけではグループとしても個人としても成長回復がありません。
話は脇に逸れるのですが、断酒会にはスポンサーシップがないではないか、という人がいます。僕は断酒会員ではないのですが、断酒会で先輩が後輩の世話をするとか、会長が新人を指導するというのが、スポンサーシップに相当するのだと聞いています。さらに、平等意識が強調されるあまり、この「指導」の関係が希薄になりつつあるのが、断酒会員数の伸び悩み(あるいは減少)と関連しているという意見を聞いたことがあります。AAでも、スポンサーシップが弱体化した時期には、停滞感が漂いました(それはまだ続いているかも)。
日本の自助グループの中には、12ステップを採用していてもスポンサーシップが普及していないところが少なくありません。それには、先に成立したAAやアラノンがスポンサーシップをないがしろにしたせいでありましょう。しかし「自助グループに理解がある」とされている援助職の人たちの中に、「自助グループは受容的で非指示的なものだ」という誤解や幻想がありはしないか、と思うのです。だとすれば、そういった誤解を解いていくのも僕らの責任であり、自助グループは受容と指示の両方をバランス良く提供するものだという知識を広めて行かなくてはなりません。
話は少し変わるのですが、日本では「カウンセリングは非指示的なものだ」という考えが広がっています。カウンセラーは話をよく聞いてくれるもので、ああしろこうしろと指示はあまりしない、という考え方です。これは肯定的関心、共感的理解を重視する「来談者中心療法」というのが日本で流行っているからです。
来談者中心療法(Client-Centered Therapy)というのは、その前は「非指示的療法」(Non-Directive Therapy)という名前で、カウンセラーが指示することよりも受容することを重視しています。これはカール・ロジャースという有名な心理学者が提唱した技法で、これを指示する人たちをロジャース派(あるいはロジャリアン)と呼びます。
実は欧米では指示的なカウンセリングが主流で、ロジャリアンは少数派です。しかし、日本ではカウンセラーといえばロジャリアンばかりです。なぜそうなってしまったのか。ある有名な先生がこんなたとえ話をしていました。オーストラリアに入植したヨーロッパ人がウサギを持ち込んだら、天敵がいないのであっという間にオーストラリア中にウサギが広がってしまった。日本のロジャリアンも同じであると。
日本ではカウンセリングも、自助グループもあまり普及しているとは言えません。それは、それは一般にはあまり効果がないと見なされているということでもあります。僕は共感と受容を重視する方針を否定するつもりはありません。そういうことも必要だと思っています。しかし、そればっかりでは困ってしまうわけで、やはりバランスが大事です。日本で自助グループやカウンセリングが流行らないのは、あまりにも共感と受容に偏りすぎているからではないかと思うのです。
もくじ|過去へ|未来へ