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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2010年08月04日(水) ノンアルコールビールとCBT 依存症の認知行動療法(CBT)ってどういうことをするのか?
例えばこれを見て下さい。
久里浜アルコール症センター:アルコール依存症の認知行動療法について
http://www.hosp.go.jp/~kurihama/ninti.htm
CBTとは「今までの出来事や物事に対する認知(=見方や考え方、価値観、こだわり)を自分自身で検討し、その認知を変えることで、これからの行動や生活を改善しようとする治療法」とあります。
CBTの実装は様々ですが、たまたま他のものを探しているときに、こんなものを見つけました。
ギャンブル依存症からの自由を目指して 自己管理ワークブック
http://www.adp.ca.gov/opg/pdf/JP_Final%20Workbook_WEB.pdf
こちらはギャンブル依存症のワークブックですが、依存の対象が違うだけで基本はアルコールと同じです。この中の第III章では「ギャンブルの衝動を生じさせる誘因」を自己分析しています。誘因は内部誘因(気持ち)と外部誘因(状況)に分けられますが、外部誘因というのは以前のギャンブル体験を思い出させる状況です。ワークブックでは、ギャンブルがしたくなった状況を自分で思い出す作業が組まれています。
さて、なぜノンアルコールビールが売れているかと言えば、それは酒の代用品だからです。酒を飲むわけにはいかないが、酒のかわりに「あたかも酒を飲んでいるかのような雰囲気」を作り出してくれる小道具であるからこそ、普通のジュースより高価であるにもかかわらず売れているのです。
コンビニでは清涼飲料水のコーナーではなく酒のコーナーに置かれ、高速道路のSA・PAでは「飲酒を誘発する恐れがあるので未成年には売らない」とされています。
断酒後に宴席に出たことのある人なら経験があるかもしれませんが、皆でわいわい騒いでいると「酒を飲んでいないのに少し酔ったような気分」を味わうことがあります。以前酒を飲んでいたのと同じ環境に置かれると、脳は飲酒下の状況を再現するようで、そのことは酒に限らずいろんなことに当てはまります。
ノンアルコールビールも、アル中さんたちにとっては、過去の飲酒状況の再現に他ならず、飲酒の衝動を生じさせる誘因となるものです。それは脳がそういう仕組みになっているのですから仕方のないことですし、逆にその仕組みを逆手にとってCBTという療法が編み出されているわけです。
「ノンアルコールビールを飲んでも飲酒欲求が沸かなかった」という話をする人もいますが、その姿は「断酒後には宴席に出るなというが、出ても再飲酒にはつながらなかった」と言っている人と同じです。なだいなだの「アルコール問答」という本にこんな話があります。
昔は山道を車で走っていると「路肩注意」という標識を多く見かけました。道路が十分整備されていなかった時代は、路肩が崩れていることがあり、注意を喚起するためのものです。普通の危機感覚を持った人ならば、「路肩注意」の標識を見れば道の端に寄らず真ん中を走ろうと心がけます。
「断酒後に宴会に出たけど酒を飲みたくならなかった」と言っている人は、路肩注意の看板があるのに路肩を走っても大丈夫だったと言っているようなものです。一度や二度なら大丈夫かも知れませんが、それを続けていけば、いつかは路肩が崩れた部分を踏んで谷底に真っ逆さまということになります。ノンアルコールビールや宴会も同じことです。
断酒後に楽しみがないので、飲まない人で集まってカラオケに行って楽しむのはいいのだけれど、昔カラオケをやりながら酒を飲んでいた人は飲みたくなるので参加しない方が良い、という話を断酒会の方から聞いたことがあります。CBTという名前は付けなくても、認知と行動の修正によって酒を遠ざけるのは、以前から経験的に行われてきたわけです。
おそらく、ビールが嫌いでウィスキーばっかり飲んでいたという人が、ノンアルコールビールを飲んでも飲酒衝動にはつながらないと思います(状況があまりに違うから)。ノンアルコールビールを飲みたがるのはビールを飲んでいた連中なので、「ノンアルコールビールは危険」という表現でオッケーでしょう。
ノンアルコールビールを飲んでも大丈夫だったという発言は、自らの愚かさ(少なくとも無知)を露呈しており、恥をさらしているだけです。しかし認知(こだわり)が修正できないからこそ、くりかえし失敗できるのだとも言えます。
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