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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2010年02月01日(月) たまには共依存について 共依存というのは、依存症の家族に見られるある種の傾向を示す言葉です。
本来アル中本人が取るべき責任を肩代わりしてしまうことによって、本人の回復を遅らせてしまい、家族も不幸になってしまうのに、それがやめられないのです。
共依存は(ACと同じで)医学的な意味での病気ではありません。しかしなぜそれに「依存症」という名がついているのでしょうか。それがco-dependency(共依存症)と呼ばれる前は、co-alcoholism(コアルコホリズム)と呼ばれていました。共依存の人というのは単なる「世話好き女房」ではなく、アル中本人に似た行動の特性を持っているのです。対比してみましょう。
(本人)酒を飲み続ける自分の行動がどのような結果を招いているか考えない。
(家族)本人を世話する行動が、どのような結果を招いているか考えない。
(本人)アルコール以外のことへの関心が薄い。
(家族)誰かの問題で頭がいっぱいで、他のことへの関心が薄い。
(本人)酒なしの生活では落ち着かず、酒のある生活に戻りたがる。
(家族)トラブルのない平和な生活だと落ち着かず、トラブルを起こす人の元へ戻りたがる。
この他にも、ノーと言えない、怒りをうまく表現できない、被害者意識に取りつかれている、そのくせ罪の意識が強い、辛抱強く待てない、ほどほどではなく極端になりやすい・・などなど、依存症本人と共依存の人の行動パターンは似たところが多いのです。
では共依存の人はどうすればいいのでしょう。本人が「酒を手放せば良い」ように、家族も「本人を手放せば良い」わけです。そこで、僕らは相談を受けると、ついついこんなことを言ってしまいます。
「あなたが旦那さんの病気を治そうと思っても無理です。世話をしたり、尻ぬぐいをするのはやめて、本人に責任を取らせなさい。あなたは時間を自分のために使って、自分の楽しみを見つけて下さい」
二郎さんの掲示板なんかでも、僕もこんなことを書いていたことがありました。そして、また尻ぬぐいをしてしまいましたという告白があると、それをしているから旦那さんが回復できないのです、と責めてしまったりしたわけです。
しかしこれは、依存症の本人にこう言っているのと同じです。
「酒をやめなさい。酒を手放しなさい。酒以外のことに時間やお金を使って、別の楽しみを見つけるのです」
あげくに再飲酒を責めているのと同じことです。アル中本人が酒をなかなか手放せないように、家族もまた本人を手放せず、また世話を焼くという再発を繰り返します。なぜなら、酒を飲まない本人がイライラ落ち着かないように、世話をしない家族もイライラ落ち着かないからです。
アル中さんが周囲から酒をやめるように圧力を受け、自分だけの力でなんとかやめようと無駄な年月を過ごすように、共依存の家族も関わることをやめるように圧力を受け、なんとか自分の力でやめようと再発を繰り返してしまいます。
自分の力では再発を防げない、その点でまったく無力なのだ、と認めることから「回復」が始まるのは、本人も家族も同じです。
ある施設からのニューズレターの記事を読んで、その原点を思い出しました。
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