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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2009年12月20日(日) 料理・学習・動機づけ 料理が下手な人がいます。
本人も料理が下手なことは分かっていて、なんとかしようと思っているのですが、自分では解決できずにいますから、下手だと言われると傷つくわけです。
料理が下手な人には特徴があって、たいていテキスト(レシピ)どおりに作りません。
テキストに書いてあるとおりの材料を集め、指示通り包丁で切って、順番どおりに鍋やフライパンに入れて加熱すれば、だいたいテキストの写真に似た料理ができあがります。味もまあまあです。僕も料理は下手だという自覚があるので、何か作ろうと思えばネットでレシピを探すことから始めます。
おそらく料理には勘所があって、それをマスターすればよりおいしく作れるのでしょうが、それは普通に料理が作れるようになってから、次のステップとして取り組めばいいことです。
テキスト通りに何度も作っていると、だんだん上達してきて、季節の食材の変化にも対応できるようになり、冷蔵庫の中の食材だけで料理が作れるようになります。つまり「応用」がきくようになるわけです。
テキスト通りに作ってうまくいく経験を重ねると、一度も作ったことのない料理でも、レシピを入手してそのとおりに作れば、たいていの料理を作れる自信がついてきます。これが「自信」というやつで、経験のないことも「できる」手応えをつかむことによって、その人の能力はぐっと上がるわけです。(経験のあることをできると思うのは、ちょっと自信とは違う)。
自分が料理が下手だという事実に直面して、テキスト通りの料理の仕方を身につけ、それが一通りできるようになったら、他の料理に応用していく・・・。自分なりのやり方を加味するのは、それができてからで遅くありません。これは楽器の演奏でも、資格試験の勉強でも、人が何かを「学習」するときの基本手順です。
12のステップもこの基本手順どおりの構造をしています。おそらく他の断酒のやり方でも、体系化されているものは同じ構造だろうと思います。ともあれ、まず自分が抱えている問題に直面しなければなりません。しかし、(たとえ料理が下手という程度であっても)欠点というのは直視したくない、受け入れたくないものですから、合理化という防衛機制によって無理矢理受け入れやすい形に変形してしまいます。そのせいで「学習」という手順の最初の一歩を外してしまうのです。
この合理化は、問題を否認させたり、他者に責任転嫁するという形を取ります(断酒会やAAのやり方がどうのという話も、たいていこれが出所です)。一人の人がこの合理化の壁を突破して進歩できるようになるには、それなりの時間がかかります。それを少しでも短縮するために、「動機付け面接法」というのが注目されています。ただ、動機付け面接法は、回復の入り口に導く方法であって、回復なり学習の手段そのものではありません(つまりステップや指針の代替にはならない)。
AAでスポンサーをやったり、ニューカマーの相手をする人は、この動機付け面接法に関心を持っても良いんじゃないかと思います。
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