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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2009年12月19日(土) 軽症のアル中 アルコール依存症も病気なので、軽症や重症の違いがあるのは当たり前です。
例えば、うつ病でも、重くなれば昏睡状態になってしまいますが、軽ければ医薬品ではなくハーブで治療が済んだりします。
「アル中には重症も軽症もない」というのは、極端な表現で正しくないのですが、しかし、使う場所によっては正しくもあります。
AAや病院にやってくる人たちは、ほぼ決まって「自分はそれほど重症ではない」と感じるようです。かくいう僕も「自分はそれほどひどくない」と思っていた一人です。根拠はいろいろあって、自分はまだ家族があるとか、働いているとか、刑務所に行ったことがないとか、でもそんな程度のことなのです。
そもそも病院やらAAに来ている時点で負け(という表現もヘンですが)なのです。要するに重症です。
ネットでこんなことをやっていると、見ず知らずの人から相談のメールが舞い込むことは珍しくありません。その中には「自分は酒をやめた方が良いか」という相談もあります。例えばこんな話です。
会社の同僚と酒を飲みにいったら、恥ずかしいことをしでかしてしまった。ところが自分にはその記憶がない。おまけに同僚からは、最近のお前の酒の飲み方はおかしいと言われる。どうしたらいいか。
まだ誰からも断酒を勧められていないわけですが、ブラックアウトは依存症になる人の特徴で、これから依存症になるのか、もうなっているのかに関わらず、断酒するしかないと返事をします。すると、その人は酒をやめてしまうのです。
(もちろん、メールで相談を受けた時点でもう重症でやめたがらない人もいますが、それは別の話)。
詳しく聞いてみれば、IDCなりDSMの診断基準を満たすでしょうが、もうパターンもわかってしまったのでたずねることもしません。だいたい僕は診断をする立場じゃないですし。それと、僕はその後を追跡するフォローアップはしません。
ただ、僕にメールを送った人なら分かると思いますが、1月1日には過去にメールをいただいた人に年賀のメールを送っています。すると、その返信で近況を知らせてくれる人が結構いて、2〜3回メールのやりとりをすることがあります。それで、その後も努力の必要もなく酒をやめていることが知れるのです。
リアルでも、AAメンバーとして活動していると、ときおり「私も実は以前は酒を飲んでいまして」という人に会うことがあります。この場合も同じで、家族に量が多すぎることを指摘された段階で、酒をすっぱりやめてしまっているのです。もちろん、その時点での診断基準は満たしているようです。
そんな具合に、軽症のアル中さんというのは、自分の健康に対する意識が損なわれていなくて、おまけにアル中さん特有の認知の偏りもまだなくて、自分の飲酒について危険を感じた段階で、素直にすっと酒をやめてしまうのです。医者に行くまでもありませんし、酒をやめ続けることに何の困難も感じていないようで、年賀のメールだけが僕との接点です。
逆から見れば、医者やAAに行く羽目になる人というのは、もうそれだけで重症です。「家路」にしても、雑記や掲示板を何度も覗く段階で、軽症でないのは明らかなのです。読んでいる人が全員重症なので、一緒くたに扱っても問題ないというわけ。(読者が家族や関係者であっても、その人たちが相手にするアル中さんが重症ばかりなので、これも問題ありません)。
ネットで「プレアルコホーリック」と称している人がいますが、ネットで活動しないと酒がやめ続けられないのなら、もう「プレ」じゃないだろうと思うのです。
「自分は軽症だ」という主張そのものが、重症を物語ってしまうわけです。この逆説に気づくのも回復のうちでしょう。
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