心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2009年12月21日(月) この雑記について

この雑記も最初は日記形式で日常をつづっていました。
すると僕の周りの人が雑記に登場するのですが、次第に誰かのことをネットで全世界に向けて書くのも「いかがなものか」という気分になってきて、だんだん日常を書くことが減りました。

かわりに増えてきたのが、考えていることを書くことです。
大学ノートに書くことを、かわりにこの雑記に書いているようなものです。
何かを勉強しているときにはその復習であり、なにかアイデアがひらめいたときにはそのメモ書きです。アイデアの場合には、それは僕の仮説に過ぎないので、メールや掲示板で指摘を受ければ、アイデアを捨てたり、修正したり、論証不足として結論を先送りしたりするわけです。従って、雑記は完成されたものではなく、未熟な状態のものが提供されているわけで、そこは読む側も分かっておいていただきたいものです。常にクリティカルな視点は持っていて欲しいということです。そうして僕が考えたことは、現実に活動する中で役に立つかどうかが試され、経験として僕の一部になり、役に立つことが実証された考えは使える道具となります。

また、この雑記は、頭の中をさらしている、とも言えるわけで、かなりの羞恥プレイです。

だからこそ、5年前、10年前に自分が書いた文章は恥ずかしいわけです。誰だって自分の少年期・青年期の日記を読み返すと「その恥ずかしさに悶えてしまう」のではないでしょうか。それは成人してからも同じであり、以前に書いた自分の文章を読んで恥ずかしく思わないのだったら、それは進歩がない、回復がないことを意味するのではないかと思います。

それと、以前から「セラピストになれるのではないか」と言われることもありますが、そんなこともないでしょう。僕が「自分の経験という井戸」を持っているのは依存症という分野だけだからです。依存症専門のセラピストは儲かりそうもありませんしね。

雑記を書くのにあてる時間は最大30分程度と決めています。それ以上時間を使うと、他の時間を浸食してしまうからです。ただ、先日のDV関係復習のような慣れない記事は、資料を読み返したり、本を調べたりするので1時間、2時間とかかっている場合もあります。それは「調べて正しいことを書こう」というよりも、「学ぶためには時間が必要」だからです。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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