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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2009年12月17日(木) ある種の技法 二郎さんの掲示板で、家族が抗酒剤を本人に無断で飲ませると、家族を信頼できなくなってしまう、という話がありました。実際、みそ汁などにこっそり入れられて、それを知らずに酒を飲んでしまったために、セルフ嫌悪療法をやってしまった、という話はたまに聞きます。
(実際にはそんな経験はないのですが)、もしスポンシーから(一応しらふという設定として)「妻(母がでもいいけど)がみそ汁に抗酒剤を入れていることがわかった。もう信用できない。妻をどうすればいいだろう」という相談を受けたとします。
いきなり話がそれますが、「妻をどうすればいいでしょう」というのは相談ですが、「そんな妻とはもう離婚するしかありません。どう思いますか?」というのは、もう離婚すると決めているのですから相談ではありません。その場合には、まずその指摘から入ります。人の意見を自分の耳に入れるために必要なスタンスをスポンシーに示唆することは大事なことです。
話を元に戻します。本人が家族を信用できない以前に、本人がいままで信用できないことばかりしてきたからこそ家族の信用を失って、こっそり抗酒剤という仕打ちを受けるわけです。しかし、この種の説教はスポンシーの耳にあまり入りません。説教はアル中さんの耳に届かないのです。「それとこれとは話が別」などと屁理屈をこねられるのが関の山です。
恨みの感情をどう取り扱うか、というステップの話はスポンシーがステップをやっていれば効果があると思いますが、それ以前であれば話をしても効果がないと思います。
スポンサーとして言うべきことは、おそらく「それであなたはどうしたいのか?」でしょう。スポンシーは「妻がどうすべきか」を話していますから、そもそも主語が違うのです。
「主語を私にして、〜したいと表現してみよう」と導きます。
「私は妻がこっそり抗酒剤を入れるべきではないと思います」
主語は私になったけれど、〜したいになっていません。
「私は妻にこっそり抗酒剤を入れてほしくありません」
願望の表現になりましたが、いま一歩。
ここら辺で「つまるところ、あなたは奥さんが信用してくれないのが不満だということでしょう」と導けば、
「私は妻に信用してほしい」
「私は妻に信用される人間になりたい」
「私は妻にこっそり抗酒剤を入れられない人間になりたい」
という言葉になるでしょう。
そして、そのために何をすればいいか考えてもらえば、「毎朝妻の前で抗酒剤を飲む」という結論が出てくるかもしれません。
自分が信用できないことばかり繰り返してきたことを反省し、信用されるためには信用される行動を取らなければならないと決意し、そのための具体的行動として毎朝妻の前で抗酒剤を飲む・・・という思考がアル中さんはとても苦手です。おそらくそうした思考を司る脳の部位がアルコールで損傷を受けたか、飲む前から損なわれていたのでしょう。機能が回復するには時間がかかるのです。なので、説教が意味を持ちません。
いたずらに自尊感情を傷つけることはせず、自発的な行動を促す・・・てこれ子供の相手をするときの話じゃなかったっけ、と思うのですが、酒をやめたばかりというのは実際子供みたいなものなのです。あるいはリハビリのお手伝いという感じ。
この手法には、自分が信用できないことを繰り返してきたという事実への直面化がなされていません。なのでこの技法ばかりってわけにはいかないと思います。
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