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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2009年11月28日(土) mil 原点回帰運動について(その2) さて、1990年代のビッグブックにまつわる話をしましょう。
ビッグブックはAAのステップのやり方や伝え方を書いた本で、一番基本的な本なのですが、当時のAAではビッグブックはほとんど使われませんでした。かわりに使われていたのは、ミーティング・ハンドブックというわずか16ページの小冊子でした。多くのメンバーは、それがビッグブックの抜き書きだということも知りませんでした。
(現在でもミーティング・ハンドブックは広く使われ、それしか使っていないグループもあります)。
ビッグブックの代わりに使われていたのは、12&12という本で、この本はビッグブックの補遺であるために重要な事柄が抜けている難点がありました。さらに、日本のAAで現実に行われていたステップのやり方が、(ミーティングで12&12を読んでいるにもかかわらず)この本の内容からも外れていたのです。その点で、日本独自のステップのやり方を「12&12のやり方」と称するのは正しくありません。
日本のAAが12&12をメインに据えたのは、日本でAAを始めたM神父とP神父の選択の結果だったことは明らかです。しかし彼らはその動機について語らずに亡くなったので、その真意を知ることはもうできません。ビッグブックが最初に訳出されたのが1977年、12&12は1979年なので、「12&12しかなかったから」という伝承は誤りです。
日本語版ビッグブックの初版にP神父が加えた「訳者註」は、その後の版から削除されていますが、それを読むとP神父がまだ酒をやめてないのに宗教にかぶれたアルコール中毒者に手を焼いていた様子がうかがえます。これはP神父が伝道組織で活動していたことと関係あるのかも知れません。依存症者が宗教に走ってもろくな結果がでないことは、現在の僕らも経験することです。P神父は、信じることよりも酒をやめることを優先するように、とその文章で勧めています。(宗教ではないけれど)信仰を強調しているビッグブックを使用をP神父がためらったのは、そうした事情があったのではないか、と思われます。
ビッグブックを使うあたって、その翻訳の品質が問題となりました。12&12のほうが後に訳されたということは、それを訳したP神父の頭もより回復し、翻訳にも慣れていたことを意味します。おまけに12&12は1990年代に翻訳が改定され、読みやすい文章になっていました。
一方ビッグブックは初期の訳のままで、これを何とかしようという話になりました。原文の持つニュアンスや雰囲気をより正確に伝える文章が望まれました。ちょうど日本のAAが始まって20年を迎える節目に、評議会という意思決定機関が作られ、その第一回でビッグブックの翻訳改定を進めることが決まりました。
それから紆余曲折がありましたが、担当者の努力もあって2000年に翻訳改訂版が出版されます。これによって多くのAAメンバーがビッグブックの存在を知り、実際それを手にしました。その影響は無視できません。この翻訳改定がなかったならば、現在のビッグブック・ムーブメントもなかっただろうと断言できます。
また別の努力もありました。
1990代の終わり頃、ある埼玉のメンバーが「ハンドブックという狭い窓を通してではなく、ビッグブック全体に触れよう」と提唱し、各地のAAラウンドアップでビッグブックを読んで分かち合う一連のミーティングを開催しました。この運動はそれほど長続きしなかったものの、一部のメンバーの中に「やはりAAはビッグブック」という意識を植え付けました。
こうして、現在のビッグブック・ムーブメントの種は1990年代に蒔かれました。
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