心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」

たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ過去へ未来へ


2009年11月29日(日) mil 原点回帰運動について(その3)

話は21世紀に移ります。2000年に新しいビッグブックが発行されると、当然それを引用しているミーティング・ハンドブックも改訂せねばなりません。しかし、これがすぐには実現しませんでした。AAの惨状はミーティング・ハンドブックを使っているからだという論を唱える人たちがおり、彼らはミーティング・ハンドブックの発行をやめ、ビッグブックへ移行することがAAを改善する手段だと考えました。しかし、一冊70円の小冊子を三千円以上するビッグブックに換えることは、多くのグループには耐えられない財政負担でした。結局新しいハンドブックが印刷され、それがグループに配布されました。

その時になって初めて、今まで慣れ親しんできた「12のステップ」「12の伝統」「序文」の文言まで翻訳が改まったことを知った人は多かったようです。そんな話は聞いていなかったぞ! 元の方が良い、というヒステリックな意見がわき上がり、その騒然は1〜2年収まることがありませんでした。

こうしてAAの表側で紛糾が続いている頃、裏側?では静かに別の動きがありました。日本のAAではとてもじゃないが自分は回復できない、と見切りを付けた人の中で、経済的に余裕のある人たちや、死にものぐるいの人たちが、回復できるステップを求めてアメリカに渡り「本場」のAAを体験しようとしました。

もちろん彼らの皆が回復できたわけではありません。しかし中にはスタンダードなAAプログラムをつかみ取り、それを日本に持ち帰った人も現れました。彼らは日本のAAの中で、ある者は静かに、ある者は派手に活動を始めました。

そうした活動が目立ってくるのは2002年頃。それと同時に新しい日本語版のビッグブックの売り上げも伸びていきます。

問題なのはステップを持ち帰ったメンバーの数が少なかったことです。1対1のスポンサーシップを使って時間をかけて伝えていたのでは、伝達は遅々として進みません。ちょうどAAがオハイオ州アクロンで始まったときのように、どうやって回復を広く伝えるか、というジレンマに悩まされたのです。


もくじ過去へ未来へ

by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


My追加