心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2009年11月09日(月) 解離の話(その3)

小西さんの話の後半、DVの被害を受けた人に見られる解離性障害について。

もし動物が恐怖を感じることができなければ、危険な場所に留まり続け、生き残ることができないでしょう。恐怖は必要な生存本能です。人間も、例えば高い場所や暗い場所は怖いし、ナイフを振り回している人からは逃げようとします。これは動物的な脳の機能です。

そして危険や恐怖は、人間の心に強く残るようになっています(その方が生き残れる確率が高まるから)。恐怖を感じる危険は暴力だけではなく、恥をかく、大きな力の前に無力感を感じるのも恐怖体験になり得ます。

恐怖感は時間が経つと次第に減衰していくのが普通です。しかしそれは危険を離れて安全な場所にいるからです。逃れられない暴力にさらされ続けると、恐怖が「学習」されてしまい、その過剰な恐怖に対応するメカニズムが成立します。それが解離です。

道路にはセンターラインがあり、日本ではその左側を走ることになっています。車を運転する僕らは、反対車線を走る車がいきなりセンターラインを越えて飛び越してこない、と信じています。だから、かなり気を抜いて運転しています。人間の社会には、そのように無条件に信じなければならないことがあり、信じなければ生きていけません。

例えばセンターラインを越えて飛び出してきた車と正面衝突して重傷を負ったとすると、その恐怖でセンターラインが信じられなくなります。いつ反対車線の車が飛び出してくるか分からない、とても緊張した状態を強いられます。そういう事故が、その人の身に繰り返し起こったらどうなるでしょう。もうハンドルを握ることすらできなくなって不思議ではありません。

家庭という密室の中で、繰り返し暴力、無力感、屈辱を味わってきたDV被害者の解離症状を理解するキーワードは「学習された恐怖」です。

僕らは「いきなり人が殴りかかってきたりしない」ということを信じています。けれど、それが信じられなくなれば、駅でいきなり殴られるかもと思えば電車に乗れなくなる、というような行動の障害となって現れます。

トラウマを持つ人は、明日が来ることを信じられません(明日を信じられないのはトラウマを持つ人に限りませんけど、それはともかく)。例えば地雷が埋まり、銃弾が飛び交う戦場で育った子供は、親しい人がいきなり死ぬ経験を繰り返します。とんでもないことがいきなり起こる暮らしを続けてきた人は、「自分は早死にする」「先のことを考えても無意味」という確信を持つようになります。

明日がないのであれば、計画を立て努力しても無駄です。それが、何事にも真剣味が感じられない無気力な姿勢となって現れます。しかしそれは、やる気のなさではなく、脳が恐怖を学習した結果です。

小西先生の講座は、どちらかというと援助職向けでしたので、回避的で無気力な姿勢が、やる気のなさではなく、解離の症状であることを理解することが大事だ、ということが強調されていました。

治療者向けの話ではないので、どのように対処するかはごく簡単に触れられたのみでした。恐怖や不安を否認したり避けたりすることから、認識すること、コントロールすることへ。恐怖から逃げる方向ではなく、行動の制限を減らし自由を獲得していくことが、自己評価を上げることにつながるのだそうです。

例えば車の運転の例で言えば、運転は無理でも、自宅の車庫でハンドルを握ることから始めたり、夫が包丁を振り回したせいで、包丁が怖くなって料理ができなくなった女性が、小さなナイフを使うことから始めるなど。専門家向けの集中講座への言及もありましたが、さすがにそこまでの興味はありません。

解離の症状を、やる気のなさと誤解しない、というのが今回学んだポイントでした。

(この話は今回でおしまい)


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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