ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2009年11月07日(土) 回復研究会の集会 中央道始点の高井戸インターには入り口がないことを毎度忘れてしまいます。気がついて、第三京浜→環八→世田谷通り→狛江通り→調布インターと走りました。横浜から効率的に中央道に出る道があったら教えてください。
で、集会の感想。
「ひいらぎさんは、長野から高みの見物でいいですね」と言われましたが、離れているから見えてくることもあります。関東の連中の喧噪に巻き込まれたら、見えることも見えなくなったりするかもしれません。
ビッグブック・ムーブメント、あるいは基本に返ろうという運動は、2003〜04年ごろから盛り上がってきました。その頃からやっている人たちは、もう5〜6年やっているわけです。今回もその人達の姿を見て感じたことは、あの頃の力みや焦りが消え、自然体でやっているという印象です。
あの頃は、日本のAA(を含む12ステップグループを)今すぐ全面的に変えちゃろうという、大それた夢をみんなが心の中のどこかに秘めていたような気がします。それは、
「歯車を一度に全部逆回転させることはできない」(12&12 p.96)
という、当たり前のことが分かっていなかった、ということかもしれません。個人の回復の途中でも同じことが起こりがちですけど。
現実はそんなに簡単には変わらない。地道に実績を積み上げるしかありません。そろそろ、その「実績」がそれなりに積み上げられてきて、ゆっくりだけれども確実に広がって定着しつつある。「ああこの路線でいいんだ」という手応えをみんなが感じ始め、それが気負いを消してくれたのではないか。そう思いました。
今はビデオをDVDに録画する時代で、ディジタルなので何度コピーしても劣化しませんが、僕らの若い頃はビデオテープをダビングするしかありませんでした。先輩がナイスなビデオを持っていれば、頭を下げてそれをダビングしてもらいました(おたくがビデオデッキ2台持つのは珍しくなかった)。そうやって人から人にダビングが繰り返されていくと、次第に映像が歪み、色が乱れ、「写っているのが日本人かガイジンか分からない」ような状態になってしまいました。
おそらく日本のAAのステップの伝達に起こったのも、同じ現象ではないか、と僕は推測するのです。人から人に伝えられていく過程で、ずいぶん違ったものに変貌してしまったのではないかと。三十数年前に始まった頃はそれなりに原形を保っていたものが、伝えられているうちに歪んでいった。役に立つ変化もあったけれど、総じてAAは魅力を失っていったのではないかと、問いたいのです。
だから研究会の集会は、ビッグブックうんぬんよりも、「ステップをきちんとやりましょう」とか「12ステップグループはステップで問題を解決する人の集まり」という、とても基本的なことの再確認の場になっていた、と思いました。
ジョー・Mに言及すれば、彼は「スポンシーにビッグブックを使ってステップを伝える」ことを強調しています。ダビングを繰り返すのではなく、マスターのビデオテープから直接ダビングすれば劣化しない、当たり前のことです。日本のAAは「AAは伝言ゲームになってはいけない」という経験を得たということでしょう。
基本に忠実に取り組む、というこの当たり前の動きが、アルコールだけでなく、ギャンブルや薬物や感情のグループ、さらに家族のグループに広がっている現状は、とても頼もしく思えます。
あと細かな感想は、年数のファクターは無視できないな、ということ。ステップに真面目に取り組めば回復は早まるけれど、それでも十年分の回復を一年で成し遂げるってわけにはいきません。十年分回復するには十年が必要、と思いました。(けれど、十年経っても一年分しか回復していないってことはあるかも)。
12ステップのプログラムは、スポンサーからスポンシーに直接手渡されていきます。会場では伝える相手(スポンシー)を求めるスポンサー達が手を挙げていました。
「ひいらぎさんは手を挙げないのですか?」と聞かれ、
「今手一杯なんです」と答えました。
まあ田舎で地道にやっています。
田舎は静かで、いろんなことに巻き込まれずに済んでいいのですが、刺激が足りないとせっかく渡してもらったものもさび付いてしまいます。いろんなスピーカーの人の話が良いrefreshになりました。
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