心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2008年04月13日(日) Jさんの物語(その3)

さて、最初のメールは彼の行動に一抹の「奇妙さ」を感じながらも、Jさんが「アルコホーリク候補生」である前提で書いたものでした。

しかし、その後の彼女の返信は、彼女がアルコールを手放せないことをキッパリ否定する内容でした。AAメンバーである彼と過ごす時間は、酒なしであることが当たり前で、自分一人の時も自然に数日飲まないことはある、と彼女は書いてきました。

「アルコールに問題がないのならば、では何が問題なのか」と疑問に思った僕は、返信をしないでいるうちに、Jさんの次のメールが届きました。

そこには、人が薬物や飲酒などの物質的なものに依存するのと同じように、Jさん自身が「彼」に依存していることが告白されていました。そして、その「堂々巡り」からの脱出には二種類のジリツ、「自律(依存対象へのコントロール)と自立(他者からの精神的自立)」が必要だと考えているとも書かれていました。

彼女にとってアルコールは些末な問題であり、彼との関係のほうがずっと重要だ、という言葉を信じるとするならば、逆にいくつかの疑問が僕の心に浮かんできました。

なぜ「彼」は、Jさんの飲酒をことさら大げさに取り上げ、指弾したのか。何年もAAにいた彼でであるならば、彼女の飲酒に問題がないことは理解していたはずで、そうした根拠のない「ゆさぶり」をしかけねばならないほど、この男女関係は殺伐としたものなのであろうか。

であるのに、このカップルの間には強烈な引力が働いていて、お互い離れがたく感じているように感じられる。しかしそれが平穏な関係ならば、決して彼女はそれを「堂々巡り」とは表現しないであろうこと。

そして彼からの「ゆさぶり」に対し、彼女は怒りを覚えているようであるが、同時にそれが別れ(彼から見捨てられる)の原因になることを恐れているような印象が感じられる。しかし、関係を揺さぶっているのが彼の側だけとは考えにくい。

まあ、短いメール数通から、これらのことを鮮明に描き出したわけではありませんが、なんとなくそんなイメージを持ちました。激震の時期と(おそらく短い)和解の時期が繰り返される男女関係。それを「恋愛依存」と呼んでいいのかどうか。依存対象が物質でなく、プロセスになっているだけの違いで説明できるのか。

いずれにせよ、Jさんがアルコールに問題がないと確定したわけでもないので、物質依存・プロセス依存両者に共通するような事柄を書いた、あたりさわりのない返信をしたためることにしました。

その内容はまた明日。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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