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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2008年01月17日(木) 逃げ道がない 僕は若い頃一人暮らしをしながら酒を飲んでいた頃に、すでに十分酒で苦しんでいたのです。生活がダメになっていることは重々承知でしたが、それでも「やめられない」のではなく「自分が飲む方を選んでいるだけ」、つまり自業自得だと思っているうちは、それほど苦しんでいなかったとも言えます。
しかし、苦しいことは苦しくて、自殺未遂をやらかし、それが原因で長野の実家に戻ることになります。さらに3年後には「アルコール依存症」という病名をもらいます。その前後から、家族や職場の人たちからの「お前は飲んではいけない」という圧力が高まってきました。
そうなってくると苦しさ倍増(当社比)といったところでしょうか。
おおっぴらに飲んでいれば叱られるので、陰でこそこそ飲むようになりました。飲んでいるのに「飲んでない」というウソも平気で言うようになりました。買ってるはずのない酒を買っているので、金も足りなくなります。飲んでいるところは隠せても、飲んで寝ているところは隠せないので、寝ているときもびくびく寝ていました。
わかったよ、うるせーよ、俺だってやめようとしてんだよ、てなことを思ったり言ったりしていましたね。誰かに「お前は酒飲んで寝てていいよ」と言って欲しかったものです。もちろん誰も言ってくれやしませんでしたけど。
飲んで起こしたトラブル以上に、やめられないのが苦しい。自分をコントロールできないってことが、いかに人間の尊厳を傷つけることか。
が、だからこそ良かったとも思います。苦しさ倍増だったからこそ、苦しみの時間は半分で済んだのかも知れません。
たまに家族の人から(妻が、夫が、父が、母が、子が・・)酒を飲んで○○で××なので、どうしたらいいでしょう? という相談を受けることがあります。精神科を受診して・・という型どおりの返事をするのですが、最近はひとつ添えていることがあります。
「飲んでいる本人以外の家族が、<お酒をやめて欲しい>という思いで一致すること」を勧めています。お酒をやめて欲しいが、とりあえず暴力だけ止まってくれればいいとか、仕事してくれるだけでもいい・・という逃げの余地を作ってしまうと、お酒という原因が解決されません。「お酒をやめて欲しい」という言葉が、本人を苦しめるわけで、さらに荒れることになるかもしれません。でも、そこをお茶濁すわけにはいかないでしょう。
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