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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2008年01月16日(水) AAという信仰 ビッグブックには、熱心なAAメンバーは無神論者であっても、結局は最後はどこかの宗教にはいるのを好む、と書いてあります。日本のAAの初期の頃の人たちには、カトリックに改宗した人たちが多かったと聞きます。メリノール宣教会というカトリック伝道集団が、日本のAAの誕生に深く関わっていたことと関係あるのでしょう。
改宗した人たちは、スピリチュアルなものを宗教のほうから(も)得ていたはずだ・・と僕は思います。もちろん彼らも宗教の話はしない、という約束を守っていましたから、本当のところどうなのかは確かめられません。
こうした改宗は第二世代(?)ぐらいまでに受け継がれたようですが、その後は傾向が弱まります。おそらくは1980年代後半から起きてきた「AAをより純粋にAAにしよう」という動きと関係があるのでしょう。それは・・・あくまで想像ですが・・・日本のAAメンバーからスピリチュアルなものが失われ、世俗化していった時代だったのかも知れません。
「AAは宗教ではない」と強調する人がいます。
それが「AAは何かを信じることを強制しない」とか「AAは特定の宗教を応援しない」という本来の意味で使われるのなら良いのです。もちろん、そう言う意味で使っている人は沢山います。
けれど中には「AAそのものから、宗教と同じスピリチュアルなものを得られるわけがない」という否定的な意味に使われていることもあるような気がします。つまり、スピリチュアルな尺度で測ったときに、AAよりも、伝統的な宗教のほうが常に優れているはずだ、という主張です。
もっとぶっちゃけた表現なら、「俺たちが宗教で得た霊性を、お前たち若い連中がAAの中だけで得られるわけがないだろう」という雰囲気を感じる事ってありませんか? それともそれは、僕の被害妄想かなぁ。
スピリチュアルなものを得るのに、必ず宗教に入らなければならないとは思いません。霊的な進歩は、AAか宗教かという問題ではなく、個人個人の取り組む真剣さの問題でしょう。まあ、僕もいずれどこかの宗教に属するのかも知れませんが、現状では非宗教的スピリチュアル派ということで。
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