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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年12月20日(木) 傷つけること 4回精神病院に入ったうちの3回は、いわゆる「アル専」でない一般の精神病院でした。当時、日本の精神病院の9割以上のベッドは、統合失調症の人に使われているとされていました。それは今でも大きく変わっていないと思います。
最初に断っておくと、病院に入院しているのは、社会生活に支障をきたすほど病気の症状が出てしまった人たちであり、統合失調の人の大多数は普通に社会の中で暮らしているということです。社会生活できないほど症状が重い人が入院する、という点では依存症も同じです。
もうひとつ断っておくと、統合失調の人に危害を加えられたことはありませんし、他の人が暴力にあっているのも見たことがありません。あることはあるのでしょうが、僕は見ませんでした。それよりも「しらふのはずの」アル中さんたちのケンカや暴力沙汰はたくさん見かけました。暴力という点ではアル中さんの方がずっと危険です。
とはいえ、統合失調の人との生活は気苦労があります。なぜ怒っているのか、なぜ傷ついているのか、なぜこんな行動を取るのか、了解不能な行動にまごつくばかりでした。まごつくばかりでなく、それに接するこちらの心も疲れ、傷つきました。人が了解不能な行動を取ることは、それに巻き込まれた人を傷つけます。
依存症者が酒を飲みだすとコントロールが効かずに変になってしまう、ということは本人も家族も比較的簡単に納得するようです。その背景には、酔っぱらってしまうと理性が効かなくなるから変になる、という理屈があるようです。逆にしらふの時はまとも(正常)だという思い込みがあります。
ところが「もう二度と飲まない」と誓った人が、また飲み出すのが依存症という病気です。マトモな人がなぜ酒をまた飲むのか? それは狂気だからですが、そのことは本人も家族も否定したい。だから、意志の弱さとか道徳心の欠如に原因を求めてしまいます。実は狂気だから了解不能な行動をしているだけなんですが。
ともあれアル中の了解不能な行動(再飲酒)は、周囲の人を激しく傷つけます。暴力や暴言が無かろうとも、再飲酒が了解不能であるから周囲は傷つきます。
だから、私たちが「傷つけた人に埋め合わせをする」時に、なぜ私たちの行動があれほど了解不能だったか、ということは説明する必要があるでしょう。それをすっとばして謝罪だけですますのは片手落ちだと思います。
性格的欠点うんぬんのまえに、まずはその狂気と自分が向き合わなくては。自分の問題と向き合っていない人から謝罪されても、印象が悪いだけでは?
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