心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年12月10日(月) 10 years ago (19) 〜 手遅れだと言われても、口笛...

10 years ago (19) 〜 手遅れだと言われても、口笛で答えていたあの頃

その入院ではいろいろな人たちと知り合いました。そして、そのつきあいが、退院後も細いながらもずっと続いていったのが、その前の入院と違っていました。

ロビーでタバコを吸っていると、Sさんというおじさんが声をかけてくれました。若い奴が入ってきたので面倒を見てやろう・・と思ったのかどうか知りませんが、まさこんな生意気なヤツだとは思いもしなかったでしょう。
「明日保護室から出たら、部屋の隣のベッドが空いているから来いよ」と言ってくれましたが、一介の患者に過ぎない彼にそんな権限があるのかどうか・・ところが彼は、翌日になると保護室からぼくの荷物を勝手にそのベッドに持って行ってしまい、それを既成事実として看護婦さんたちに認めさせてしまったのです。
そんなわけで、2ヶ月の入院期間中、わりと多くの時間をSさんと過ごすことになりました。

入院したのは県立の古い病院でした。病棟は二つの建物があり、一方には痴呆の老人ばかり、もう一方は統合失調の人ばかりで、そちらの3階にアルコールの人々が集められていました。2ヶ月入っていた間にアルコールの人は増減しましたが、少ないときで5人ほど、多きときで12〜3人ほどでした。そして、アルコールのプログラムも、特に充実しているわけではありませんでした。

だから、というわけではありませんが、ぼくは猛然と「こんな所にいてはいけない、何の役にも立たない」という焦りに襲われました。入院早々、僕は退院したくてたまらなくなりました。

担当医は毎日病棟まで上がってきては、ナースステーションで患者のカルテを見て、必要であれば患者を呼び出して面談していく習慣でした。患者のほうから医者に話をしたいときは、朝の点呼の時に「面談希望」と伝えておけば、その時に呼んでくれます。

僕は毎朝「面談希望」を出し、毎日担当医に「僕がここにいてはいけない理由」を並べ立てました。医者も「あなたは自分の希望でここに入院してきたのにねぇ」と苦笑いしていました。いてもたってもいられない焦燥感は、単なるアルコールの禁断症状に過ぎなかったのでしょうが、先生もわかっていながら丁寧に付き合ってくれたと感心します。

「自分は仕事と家庭を放り出して来たのです。すぐにでも退院して、その面倒を見なくてはいけないんです」

などと言っても、そんな状態で退院してこられても皆が困っちゃうだけなんでしょうが、それが分からないのが断酒初期というものです。

最初の数日は、病棟内禁足で、外に散歩にも出られません。そのうち、昼間だけ敷地内を散歩してもいいよということになりました(夜間は施錠されるので外出不可)。

入院して初めての日曜日は、AAの病院メッセージというのがある日でした。その日に病院を訪れるのは、入院以前に1年間に僕が断続的に通ったAAグループのメンバーでした。そのメンバーには、スリップしたのがとても恥ずかしくて、顔を合わせられない気持ちもありましたが、同時に僕の焦る気持ちを分かってもらえるのも、その仲間だけだという確信もありました。

そしてその日曜日・・・。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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