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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年12月02日(日) 10 years ago (15) 〜 手遅れだと言われても、口笛... 10 years ago (15) 〜 手遅れだと言われても、口笛で答えていたあの頃
10年前というタイトルで書き始めたこのシリーズですが、続きを書かないでいるうちに、もう12年前ぐらいになってしまいました。
さて、新婚旅行中にまた飲み出してしまった僕ですが、妻が「日本に戻ったらもう飲まない」という空約束を信じたおかげで、新婚早々夫婦げんかをして過ごすということは避けられました。けれど、たった数日の飲酒生活を送っただけで、酒が切れれば禁断の苦しみという依存症の症状もぶり返してしまい、身体の不調はごまかすことができませんでした。
まだ、日本に戻る飛行機の中は良かったのです。機内サービスの酒を飲み、なんとか禁断症状をなだめすかししていましたし、苛立ちの対象は、ただでさえ狭いエコノミークラスの座席に、妻が空港で買い込んだおみやげを手回り品で持ち込んだため、手足を満足に動かせないことに向かっていました。
けれど・・日本に着いてしまえば、もう言い訳はできません。成田から東京へ、東京から長野へと戻る列車の中で、早くも悪寒と震えがやってきました。
新居のアパートで過ごした翌日。僕はこの症状を和らげてくれる薬を処方してもらおうと、精神科医の診察を受けました。「やっぱり飲んだのですね」と尋ねる医者の言葉に、「ええ、飲んじゃいました」とためらいなく答える僕。その言葉を聞いて、初めて妻は「これは困った人と結婚したのかも知れない」と悟ったそうです。
二人でAAミーティングにも行って「スリップしました」と報告しました。けれど、それで何が変わるわけでもなく、僕は断酒後の抑うつ状態を抑える薬を飲みながら、ノンアルコールビールと普通のビールをかわりばんこに飲んでいました。
遅れに遅れていた仕事に復帰したものの、酒が止まっていない状態ではまるで仕事になりません。なんとか仕事をしなくては・・と1日2日酒を切ってみるものの、アルコールを体から抜いてみたところで、バランスを崩してしまった脳の調子は、すぐには戻りません。どんどん追いつめられていくものの、結局半月まるで仕事ができないままに年末の休みに入ってしまいました。
(そのうち続く)
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