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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年11月05日(月) 研修会メモ書き(ジキル博士とハイド氏) しばらく前に妻から聞かされたのですが、義姉(妻の姉)が「将来両親が没した後には、(今僕らが住んでいる)土地を更地にして売り、妻と義姉で折半して相続したい」という話をしていたそうです。
僕がこの家に婿養子に入る際、嫁に出ていた義姉は将来の相続を放棄するという約束だったはずですが・・・まあ義姉さんのところも、最近は経済的にずいぶん苦しいらしいので、そういうアイデアが出てくるのも理解できなくはありません。
とは言え、義姉さんもずいぶん気が早い。まだまだ義父母は健在で、この先に介護などの問題が待ちかまえていて、それがキーポイントです。その更に先の話でありますから、今心配したところでどうなるものでもないでしょう。
さて、アルコホーリクはジキル博士かハイド氏か?
酒に酔うと理性のタガが外れて本音が出ると言います。そうなると、始終酔っぱらって迷惑ばかりかけているアル中は「ハイド氏」となります。依存症は内なる悪を暴く、シラフの時は理性による制御が効いているが、酔っぱらってしまうとダメ人間ぶりが表に出てくるという捉え方です。
しかし、依存症治療の分野では「ジキル博士」と見ます。例えば12ステップの考え方では、人間性の根底には「善なるもの」が必ず存在しているという揺るぎない信頼があります。つまり本当のその人とはシラフの時であり、依存症によってその人の内なる良さが堕落してしまっただけという捉え方です。
不思議な話ですが、アル中本人は、周囲からどちらに思われているか敏感に察知する能力があります。
散々迷惑を被ってきた周囲(たとえば家族)が、ハイド氏解釈に傾くのはやむを得ない事かも知れません。結果として、酒をやめたアル中は家族の中で居心地悪く(針のむしろに)感じるでしょう。居心地が悪いから逃げ出すのか、居心地の悪さに怒りを覚えるか、本人の反応は様々でしょうけど。
AAグループがきちんと機能していれば、メンバー同士はお互いに「霊的な病気」であり、性格上の欠点ばかりが目立っていたとしても、それぞれの人の奥底には善(その人のハイヤー・パワー)が宿る事を認めているでしょう。それが仲間意識です。
だからこそ、AAに行ったときに「ふと気の休まる思い」を得ることができるのだと思います。
お互いの善性を信じることができないグループは機能不全状態であり、ミーティングは続いていても「ヨロイを着て風呂に入る」ような不自然が行われているわけです。メンバー一人一人が、ハイヤー・パワーへの信頼を持つことが「ひきつける魅力」につながるのでしょう。
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