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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年10月14日(日) ヒューマン・ファクター 病院メッセージの輪番。この病院は3ヶ月ごとの輪番なのですが、4月は「ド忘れ」、7月は埼玉にいたので、9ヶ月ぶりでした。
さて、僕が日常で顔を合わせる人はせいぜい十数人でしょうか。生活の中ですれ違う人は多くても、コミュニケーションを取っているわけではないので、人間関係のあるには十数人ぐらいです。AAのミーティングに行っても数人〜十数人増えるぐらいです。
ところがコンピューターネットワークを介すると、その人数は飛躍的に増えていきます。そうすると、日常生活の十数人との間では、大きなトラブルのなかったコミュニケーションが、勢いトラブル含みになってきます。
僕は相手を知らないし、相手も僕を知らない、そう言う人たちが僕があちこちに書き散らした文章を読んで、さまざまな事を感じたり、考えたりします。そうすると、僕の予想を大きく越えて、さまざまな反応が起こってきます。良いことも悪いことも起こります。それがネットの醍醐味でもありますし、同時に怖さでもあります。
その怖さから「ネットの無名性」を使って逃げる人もいます。ある意味卑怯な手段ではありますが、やむを得ない自己防衛だってあるでしょう。ただ、逃げているのは、相手からではなく、自分からですね。たぶん。
日常生活で出会うわずかな人たちと、一見うまくいっているように見える人間関係も、実は潜在的にはトラブルの種を抱えているのでしょう。それがネットを介することで、相手の人数が一桁も二桁も、時にはもっと増え、試される機会が増えるだけ、潜在していた問題があぶり出される確率が上がるだけなんだと思います。
ネットの怖さといのは、実は日常の人間関係がうまくいっている(ように見える)のは単なる幻想であることを伝えてくれます。この場合も、危機が訪れたのではなく、幻想が終わっただけの話です。
1985年からネットに出ていますが、ネット上で起きる人間関係のトラブルは昔も今も変わりがありません。どんなに技術が進歩しても、おそらくそれは変わらないでしょう。なぜならそれは、ネットという技術の問題ではなく、それを使う人間の抱える問題だからです。
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