心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年09月20日(木) あなたのスポンサーではないのだが

目の前で起きていることが、どうしても納得できない、という気持ちは分かります。
もし神様がいるなら、どうしてこの人に罰を与えないのだろう、と思ったりするわけですね。「配慮に欠けていた」ってのも含めて、自分に落ち度はないし、相手が悪いとしか思えなくて・・。いつかこの人は罰が当たるだろう、いや当たって欲しいと思ったりして・・。

でもそれは「私は間違っていない」、「もし神様がいれば私に賛成してくれるはずだ」という思い上がりですよ。

もっと言えば、「私は正しいのだから、神様は私の判断に従うべきだ。だから早くあの人に罰を下しなさい」と思っているわけです。
いつの間にか、自分が神様より偉くなって、命令を下したがっています。AA流の言葉で言えば「神の役を演じて」います。自分=神になっています。

世間において「自分は神だ」と主張する人間は、一般にキチガイと呼ばれます。それが「自分の古い考え」の狂気です。これにつける薬はステップ2。健康な心に戻してくれると書いてあるでしょう。

自分がアル中だと気がつかない人は、酒をやめようとは思いません。同じように、自分の考えの狂気に気がつかない人は、正気に戻してもらおうとは思いません。だから、自分の考えで苦しむのはひとまず良いことです。きっとたぶんね。

自分の考えでは、どうにも間違いとしか思えないことでも、神様の視点で見れば実は正しいことなのかも知れません。僕らは神のように全知全能ではないので、目の前で起きていることの正しさが理解できなくても、しかたないことです。諦めましょう。

それよりも神様はすべて良くしてくださると信じ、今日起きたことにもきっと何か意味があると信じ、罰をあてて欲しい人に頭の中を占領させるのはやめて、今夜はぐっすり寝ようではありませんか。

いくらミーティングに出続けていても、そういう考え方は意識して努力しないと身に付きません。3年後にはきっと自分が変わっていると信じて続けていきましょう。そうすれば自分のことだけで十分忙しいはずですよ。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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