心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ過去へ未来へ


2007年09月10日(月) 続きものである自分

人間は過去から未来へ向かって生きる連続体ですから、過去を無視して今日を生きるわけにはいきません。

精神病院に入院中のアル中患者さんで、「依存症ということを意識しすぎると、自分は苦しくなってまた飲んでしまう。だから酒のことは忘れて生きてゆきたい」と言う人がいます。

気持ちはよくわかるのですが、人間そう簡単に過去を忘れることはできません。気持ちの上では過去を忘れられても、心の奥深い部分、脳みその特定の部分には、過去がしっかりと刻まれています。

僕は小学校の1年生の時に自転車に乗る練習をしました。毎日練習し、よろけて藪に突っ込んで怪我をしたりしながら、2週間ぐらいで何とか乗りこなせるようになりました。一度乗れるようになってしまえば、最初になんであんなに苦労したのかと思うぐらい、すいすいと乗れるものです。
大人になって、もう何年も自転車に乗っていなくても、体(つまり脳)は自転車の乗り方を忘れません。久しぶりに乗れば、しばらくヨタヨタするかもしれませんが、あっという間に昔のカンを取り戻して、上手に乗れるようになるでしょう。自転車の乗り方を忘れることはできないのです。

お酒も同じことで、たくさん飲めるようになるまでには、多少の苦労もあったことでしょう。でも練習の成果があって、ぐいぐい飲めるようになったわけです。そして断酒を決意しても、酒の飲み方を脳は忘れてくれません。
何ヶ月、何年か酒をやめていて、久しぶりに飲み出せば、なるほど最初は「コントロールされた飲酒」だとか「節制された飲酒」という、へなちょこな飲酒をしているでしょうが、アル中としての本格的な飲み方を取り戻すまで、そう時間はかからないでしょう。

酒の飲み方だけじゃなく、人間関係の反応の仕方とか、感情や考え方の偏りも、子供のころから積み重ねてしまったものを、忘れようとしても簡単には捨てられません。

だからこそ「棚卸し」や内観をして、過去の行動が現在の自分にどう影響を与えているか分析しなくてはいけません。このときに大事なのは、罪の意識や自責を持ち続けないことです。罪の意識を持ち続けることは、それを行った過去の時点での自分を回復させたいという気持ちの現れです。
過去が回復すれば、現在の苦しみも消えてくれるでしょう。でも、過去を変えることができない以上、現在を変えていくしかありません。

(できるはずのない)忘却を望んだりせず、罪の意識で自分を律しようともしない。それが今の自分に責任を持つということでしょう。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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