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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年08月22日(水) 淋しくなる 当然のことですが、僕がAAにやってきた時には、まわりのAAメンバーは全員僕より長いソーバーの人ばかりでした。周りの人はみなが「先ゆく仲間」だったわけです。
飲まない期間が長くなるにつれて、「後から来た人たち」が次第に増えていきました。一方で「先ゆく仲間」は、様々な理由でその数を減らしていきます。飲まないままで県外に移った人もいれば、飲んで県外でやり直している人もいます。もちろん、飲んでしまった人もいます。
やがて「先ゆく」と「後から」の比率が逆転し、地元のAA共同体の成長とともに、僕も相対的にソーバーの長い方へと移っていくことになりました。
AAでは長く飲まないからといって「偉くなる」ことはありません。基本的に、ソブラエティの長短というのは、いつAAにつながるチャンスを得たかの違いに過ぎません。回復の度合いも、年数の長さだけで計れるものではありません。たとえ経験は浅くても、熱心にステップに取り組んだ結果、僕よりはるかに回復しているメンバーだってたくさんいるでしょう。現にきらりと光るものを見せるメンバーはたくさんいます。
ではあるものの・・・。やっぱり10年の経験をするには10年を要し、20年の経験をするには20年を要します。これは変えられない事実です。「年数が長くても回復が足りない人はたくさんいる」という主張もあるかも知れません。でも、努力しても20年が2年にはなってくれないものです。
だからこそ、自分より「先ゆく仲間」の経験は貴重なものです。僕のスポンサーは、「ひいらぎも5年になれば分かる」「10年になれば分かる」という言葉を使いました。その時に何を意味していたかは分かりませんが、なるほどその地点に到達してみなければ見えないものがあることは納得しました。
だから、この先も15年、20年、30年と続けていけば、きっとその時にならなければ見えないものを、神様は明らかにしてくれるだろうと思っています。
でも、そこまで待ちきれないので経験を分けて欲しい時もあります。そういうときには「先ゆく仲間」しか頼るものがありません。だんだん離ればなれになって、会いに行くことすら思うように出来ないわけですが、心情的にはとても頼りにしているのであります。(その割には悪口ばかり言ってないかって?)
ソーバーが長くなるにつれて偉くなるのではなく、長くなるにつれて淋しくなるのです。
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