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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年08月19日(日) Fear - 恐れ ミーティング用お勧めテーマ #7, Fear - 恐れ
「私たちの欠点を増大させていたものは、自己中心的な恐怖――すでに得たものを失うことへの、あるいは求めるものを得られないことへの恐れだった。私たちは要求が満たされないままに生きてきたため、絶えず不安と不満の状態にあった。これらの要求を鎮める方法を見つけるまで、平和が訪れるはずはなかった」 12のステップと12の伝統 p100-101
飲んでいた頃の自分に取って一番大事なもの。それは「すでに得た」手元にある酒を失うことであり、これから「求める」次の酒、明日の酒を得られないことでした。それは恐れそのものでした。
楽しみであったはずの酒が、いつの間にか生活必需品になり、さらに水や食料のように足りなければ苦しみを呼ぶものになっていました。にもかかわらず、酒は飲むとどんどん減ってしまうのです。体から酒が抜けても次の酒が補充できなければ、禁断症状が起こるので、いつもある程度酒に酔っていなければなりませんでした。酒を失うことと、次の酒が手に入らないことは、不安の対象でした。
酒をやめて、そうした不安からは解放されたつもりでいました。でも、決してそうではなかったようです。
例えばどこで働いていても、いつかはこの職場を辞める羽目になるんじゃないか、という不安がこびりついて離れません。貯金がなければ、金のない苦しみがありますが、わずかな額でも貯金が出来れば、今度はそれを失う事への恐れが生まれます。
働く動機にしても、働かなければ手元のお金がいつかはなくなり、食べるにも困ってしまうからです。つまり不安と恐れを出発点として働いているので、病気や怪我や、あるいは倒産や解雇によって職を失うことへの恐れはなくなりはしませんでした。
今は酒がやめられて幸せだと言っていても、その幸せなはずの自分が、過去の友人に会いに行けませんでした。痛々しい過去に触れないことで保たれている現在の幸せが、過去を持ち出すことで壊れてしまうのが怖かったのです。ミーティングで正直に話しているつもりでも、会うのが怖い人がいる現実が、自分の回復の度合いを示していました。
現に存在している不安や恐れを、忘れることでしか幸せが保てないのが飲まない生き方ならば、不安や恐れを酒で忘れていた頃の生き方とどう違うのでしょうか。
結局のところ、人生はなるようにしかならないのです。僕が恐れるようなトラブルが持ち上がったとしても、きっとすべてのことは「なんとかなる」、つまり解決の方法があるのです。そこで示された解決方法が、僕の大嫌いな方法だったり、賛成できなかったりすることもあるでしょう。でも、神様の巨視的な視野で見ればそれが最善の方法に違いありません。それを信じることが出来れば、不安や恐れは小さくなります。
自分の利益ばかり考えていると、どうしても視野は小さくなり「なんとかなる」という信頼が薄らいで、不安が増えてきます。
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