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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年07月30日(月) 道徳的になる前に AAの十二のステップには、自分の過ち、性格上の欠点、短所という言葉が出てきますし、埋め合わせ(謝罪、賠償)という言葉も出てきます。
だから、ステップを見た人たちの中には、AAは道徳的なプログラムで、品行方正になるのが目的だと思う人がいます。そのことを大いに励みにする人もいれば、それを嫌う人もいます。
でも、ちゃんとしたAAスポンサーならば、スポンシーが「ともあれ道徳的に」生きようとしたら、まずそれを止めるでしょう。
僕らの多くは、アルコールが生活に及ぼす害が大きくなってきたときに、もっと道徳的に生きようとしたはずです。中には、酒のことをとやかく言われたくなかったからこそ、トラブルが起きないようにとりわけ気を使ってきた人もいるでしょう。
でも、どうであれ道徳的に生きることはできなかったからこそ、AAにたどり着いてしまったのです。これは認めざるを得ないでしょう。
「自分を道徳的に律する力がある」という幻想はまず捨てないといけません。
道徳的である前に、まず自分自身であらねばなりません。自分は本来こういう人間だというイメージに沿って生きることです。
しかし、ここで気をつけなければならないのは、「自分は本来こういう人間だ」というイメージは、実は他者から「あなたはこういう人間であることを目指しなさい」と押しつけられたイメージである可能性です。
たいていは、子供の頃に親に押しつけられたものがあります。
僕も、僕の親は普通の愛情ある親だったという自己欺瞞が長くありました。その押しつけられたイメージどおりに生きられていたら苦しまなかったのでしょうが、能力が足りなかったか、はなから絶対無理な目標を背負わされたか、その通りには生きられなかったのです。
だから、それも取り除いて、自分自身であろうと努めます。誰かを満足させるためではなく、本当に自分のしたいことに時間を使うよう努めます。
ところが、そうやっていろいろ取り除いていくと、本当に自分のしたいことが見つからず、自分自身が空っぽであったりします。そんなときには、「自分探し」で時間を費やしたりせず、とりあえず目の前にあることをこなしていけば良いと思います。それが僕の場合、仕事だったり、家事手伝いだったり、AAの共同体だったり、そのほかあまり道徳的でないいろいろだったりします。
とりあえず足下に転がっているガイダンスに従って行けば、そのうち道徳的に生きられるんじゃねーかな、という感じです。
AAは清く正しく美しく生きるためのプログラムだ! なーんて言葉を聞くと、登山初心者がヒマラヤに登ろうとするのに似た危うさを感じます。
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