心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年07月18日(水) 安易な癒しを求めない(甘えるための尊敬)

人生辛い修行が必須だとは思わないのですが、安易な癒しばかり求めてはいけないと思います。ヒーリング音楽のCDとか、読むだけで感動する本とか、「自宅でお手軽に」という癒しは、たいてい商業主義の匂いがぷんぷんするものです。
エステサロンに何十万円も払って、ダイエットエステのコースを頼む人がいます。そこへ通って横になっているだけで美容と癒しと痩身ができるんだったら楽でしょうが、本当にそれで(それだけで)痩せた人がいるんでしょうか。
部屋が散らかって汚れているのは気分が良くないものです。自分で掃除・片づけをしようが、誰か他の人にやってもらおうが、片づいた後のすがすがしさは変わりません。このすがすがしさも癒しですね。でも、誰かに片づけてもらうのが癖になって、後にその人がいなくなってしまい、自分が掃除片づけをやらなくちゃならなくなった時、その「義務」を苦痛に感じたりしないでしょうか。

自助グループは癒しの場ではないと言います。少なくとも「安易な癒し」の場ではないでしょう。

癒しばっかり求める人は、人間関係の問題を抱えます。常に自分の部屋を片づけてくれる人を探しているようなものですから。自分にキツイことを言う人は悪い人で、自分に優しい思いやりのある言葉をかけてくれる人は善人・人格者・尊敬できる人という分別をします。
ところが、そうした善人も、いつもいつも優しくして甘やかすわけにはいきませんし、他のことが忙しくて甘えん坊の相手をしていられないことだってあります。そうすると、癒しばかり求める甘えん坊は、「あの人は変わってしまった」とか「尊敬していたのに裏切られた」とか言いだし、あげくには「やっぱり人間なんて信じられない」とスネてみたりします。こういう人は、自助グループでも、病院でも、夫婦でも、はたまたインターネットの掲示板でも、同じことを繰り返します。
安易な癒しを与えてくれる存在として、相手を利用していた自分に気がつかないのでしょう。人間不信や対人恐怖も、結局は自分の中の問題なんでしょう。本質的な癒しのためには、セルフ・エスティームの回復が欠かせませんが、それにはインスタントな方法などなくて、こつこつ地道にやるしかないと思います。

逆の立場から見れば、「尊敬します」と言っていた人に、いきなり「裏切られた、こんな人だとは思わなかった」と言われるわけですが、それは相手の問題ですからほっとくしかありません。悪人と言われる覚悟がないのなら、特に異性には優しい言葉はかけない方がいいですよ。性的な関係もないのに、あとでドロドロの人間関係になったりしますからね。まあ身から出た錆。巻き込まれるのは回復が足りないから。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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