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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年07月17日(火) 渇酒症 渇酒症という言葉があります。
僕が入院を繰り返している頃には、「自分は渇酒症だ」と言っているアル中患者さんがある程度いたような気がします。
渇酒症もアルコール依存症の仲間なんでしょうが、酒をなかなかやめられない普通(?)のタイプの依存症者とはずいぶん違った症状だと聞きます。
彼らはふだんはまったく酒を飲みません。ところが例えば年に1回とか2回とか、あるいは数年に1回、バケツの底が抜けたかのように飲み出すことがあり、そうなると数日から数週間、社会生活を放り出して連続飲酒にふけります。ところが、ここから先が違うのです。渇酒症の人は、あるときぴたりと酒をやめ、その後酒を遠ざけるのに何の苦労もありません。しかしいずれ連続飲酒の時期がやってきます。こうして間欠的に大量飲酒を繰り返すのが特徴です。
普段は酒をやめるのに苦労をしないことから、普通のタイプのアル中さんと共感を得るのは難しいようです。
ところで普通のタイプのアル中さんも、症状が進んでいくと山形飲酒サイクルというものが出現する場合があります。これも、大量に飲酒する時期があり、あまり酒を飲まない時期があり、再び大量飲酒の時期がやってくる、というサイクルを繰り返します。
なぜこうなるのかと言いますと、病気の進行の結果です。アルコール依存症は飲酒のコントロールを失う病気、ブレーキの壊れたダンプカーに例えられますが、そのブレーキの壊れ具合がだんだん進行していきます。最初のうちは連続飲酒に突入する(つまりダンプが暴走する)までには、再飲酒からだいぶ間がある(それだけコントロールが効く)のですが、重症になるとコントロールがほとんど失われてしまい、ちょっと酒を飲み過ぎただけですぐに大量飲酒・連続飲酒に結びついてしまうため、ダンプカーもおいそれとは走らせられなくなります。
意志の力による断酒期間・節酒期間と、あっという間に落ち込む連続飲酒期間が繰り返されてるところは、外から見れば渇酒症に似ています。
僕が入院していた頃に渇酒症を主張していた人たちは、やっぱり普通のタイプのアル中さんたちで、自分の山形飲酒サイクルを渇酒症だと思いこむことで、自分は普段酒をやめるのに何の苦労もない、と自分に言い聞かせようとしていただけなのではないか。そんなことを思います。
最近では渇酒症を主張する人には、滅多にお会いしません。
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