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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年07月15日(日) 経済的自立とは(その2) 例えば「誰かからAAミーティング場を紹介してくれとオフィスに電話が来ても、うちのグループは紹介しないでくれ」とか、ミーティング一覧表にも載せないでかまわない、イベントの問い合わせ先にならなくてもかまわない、ラウンドアップその他のAAの催し物も行かないから受付代行も要らない、ミーティングのお休みの案内も『かわらばん』に載せなくて結構・・・というのなら、オフィスも不要かも知れません。
でも、オフィスのサービスは要らないから、うちのグループは献金を届けない・・と言っても、おそらく彼らは献金のあるグループもないグループも、分け隔てなく扱うでしょう。
そういうサービスをしてくれと頼んだ覚えはなくても、知らないことに頼んだことになっているし、現にそのサービスを享受しているわけです。ちょうど、不動産屋に連絡するだけで水道や電気が開通したように。でも、公共サービスと違うのは、お金を払わなくても、AAのオフィスのサービスは止められないということです。
AAオフィスのサービスの中には、なるほど間接的で見えにくいものもあるでしょう。だから、その恩恵を感じにくいのかも知れません。しかしながら真の原因は、水や電気が供給されることが当然に感じられて、止まったときに思わず怒りが出るように、オフィスのサービスも「あって当たり前」に感じていることにあるでしょう。
自分がリクエストしたサービスの経費を支払う、それも誰かの財布を当てにせず、自分の財布から出す。オフィスに献金を送ることによって、オフィスとグループが「霊的につながるのだ」そうです。そのつながりがAAの一体性を維持するひとつの手段なのでしょう。
AAの費用は義務的に集めるわけではないので、僕らが「あって当たり前」のものの意味に気づき、自分の責任を感じられるようになるまで、待っていてはもらえます。確かにオフィスの存在は僕らには大きな経済的負担ですし、「献金を送ってくれ」という声は耳にうるさいものです。でもそれも、僕らの回復を手助けしてくれる存在なのです。
自由に使える金が欲しいからと、焦って仕事に就いたところで、最低限の「経済的自立」という回復がなければ、間違った金の使い方しかできません。結果として、金を稼いでいても、いつも経済的不安にさらされることになるでしょう。
「霊的な回復の前に、経済的な回復はやって来ない」と言いますからね。「経済的不安もなくなる」ってのは、不安を感じないほどたくさん稼げるようになると言ってるわけじゃないですよ。
(とりあえずこの項おしまい)
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