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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年06月23日(土) 承認を求める癖 自分を直接見るよりも、他者の瞳に映った自分を見る癖があります。修辞が過ぎますか。自分で自分のことを良いとか悪いとか判断するよりも、人にどう思われているかのほうがずっと気になります。
人にどう思われているか、全然気にならない人はいないでしょう。例えば、上司や人事部にどう評価されるかで、将来の給料、ひいては経済生活が変わってきますから、気にしないではいられません。その他いろいろです。
でも、人にどう思われても、自分は自分であって周囲の評価によって、自分の価値が上がったり下がったりするわけじゃありません。「そう言われても、やっぱり人の評価が気になる」のは、奥深いところで自分が無価値だと感じる癖がついているんでしょう。だから、人から高評価を得ることで、あーやっぱり自分は価値ある人間だったと一時の安心を求めてしまいます。あるいは酒でその虚無を埋めるとか。
こういう(僕みたいな)人は、一緒にいる人の感情に支配されがちです。この人がこんなに不機嫌なのは、さっきの僕の行動がいけなかった、いや昨日したことがいけなかったのか、いやもうすっかり僕のことが嫌いになって手遅れなのか、とか。僕のやったことで、こんなに喜んでくれるなんて、この人本当にいい人だな、よしもっとやってあげよう、とか。
こういう(僕みたいな)人を支配するのはかんたんです。「俺の機嫌がこんなに悪いのはお前のせいだ」というオーラを発散していれば、そんなの関係ないじゃんと理屈では分かっていても、落ち着いていられません。「俺の目にはお前はこう写っているんだ」という像を無視できません。
だからこそ、他者の瞳に映った自分ではなく、自分で自分を直接見て評価する習慣をつける必要があるんでしょう(ステップ10)。
また子供には「お前が良いことをしようとも、悪いことをしようとも、世間様になんて言われようとも、お前はお前で良いんだよ。だってお前は私の子供なんだから」と示してあげたいものです。
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