心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年05月27日(日) 予備の原稿

松坂の投げる試合をTVで見ていたら、対戦するあるメジャーリーガーのことをアナウンサーが「彼は日本に来た時に、六本木で踊って、秋葉原で買い物をしたんだそうです」と紹介していました。高給取りの野球選手が、秋葉原でメイド・イン・ジャパンの家電製品を買い求めたのかどうかはわかりません。

メイド・イン・ジャパンは日本の工業製品の品質の高さを示す言葉です。昨今では市場が安い他国の製品に市場を席巻されているおかげで、「高いけれど日本製だから壊れないよ」という売り文句へと変化してしまった感じがします。性能やコンセプトの面では、すでに韓国メーカーに追いつかれ、追い越されている(部分もある、米国市場とか)んですが、信頼性についてはまだ若干のリードがあるように思います。

しかし50年前、いや70年前には、メイド・イン・ジャパンは「粗悪品」の代名詞でした。当時の日本は工業化が進んでいたものの、基本的には安い労働力を武器に、安かろう悪かろうの工業製品を輸出する国だったのです。また、取引相手としても、日本人は信頼できない油断のできない相手と評価されがちでした。金を払った後、日本からの積み荷を開けてみたら、中には石しか入っていなかった・・・なんて話もあって、まあこれは都市伝説の類ですが、日本のイメージの一端を現しているように思います。

そう言う状況を変えたのは、戦後登場した経営者たちであるとか、あるいはプロジェクトXみたいな燃える男たちであるとか、そういう方向には話を持っていきません。

世界大戦後に日本を占領したのは事実上アメリカでした。
彼らは財閥を解体し、労働運動を奨励しました。富の集中や貧富の差を解消しようと試みたのでした。その目的が「民主平等」ばかりであったかどうか、それは怪しいところです。

戦争の荒廃によってさらに貧しくなった日本人が、その安さを武器に粗悪品を乱造して輸出し、それがアメリカ市場に流入してアメリカの産業が打撃を受ける・・・そういうシナリオを避けたい動機もあったでしょう。結果、常に賃金上昇の圧力にさらされた日本企業には、安さではなく品質を武器にするしか道がなかっとも言えます。アメリカの思惑は当たり、戦後日本では中間所得層が形成され、それはアメリカから輸出された製品の購買層としても成長していきました。

日本の野球選手も質が良くなって、メジャーリーグに輸出できる時代になったわけですな。僕は天の邪鬼なのか、若貴時代よりも、外国人が増えたいまの大相撲の方が面白いと思います。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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