心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」

たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ過去へ未来へ


2007年05月23日(水) 会えないことの価値

 今まで知らずに過ごしてきた 本当の温もりを教えてくれた人
 言葉にできない想いに触れた瞬間 何もかもが変わったあの日
 二人が出逢えた事 偶然なんかじゃない 求め合った奇跡
 あなたは私の心を映す鏡 この世界で逢えてよかった
  〜植村花菜 『キセキ』

ある人が亡くなりました。といっても親しい人ではありません。
お互いネット上で活動していたので、多少のやりとりはありましたが、交流があったと言えるほどじゃありません。そのうち機会があるかもと思っているうちに、この世を旅立たれました。どうして関与しなかったかと理由を考えてみれば、思い当たることは一つで、自分とよく似ている人だからです。
人間誰しも、鏡をのぞき込むのが怖いときがあるんじゃないでしょうか。

マット・スカダーの第何作だったか忘れましたが、主人公スカダーの知り合いのAAメンバーが死んで発見される場面が出てきます。そのあとでスカダーは「彼が死んだときに酒を飲んでいたのかどうか」にこだわって見せます。世間的に見れば、それは(死という大きな事件に比べれば)些末なことでしょうし、詮索すべきことではないのでしょう。でも、僕にはスカダーのこだわりがとてもよく分かるのです。

ネットに限らず、AAの中でも熱心に活動して存在を知られたメンバーが、知り合う機会のないまま人生を終えられてしまうことがあります。挨拶ぐらいはしたことがあったろうと思うと、以前はそれがとても残念に思えたものでした。
それは僕が、出会えたことがすばらしく、出会えないことが「残念なこと」という価値観に囚われていたからでしょう。僕が ゲシュタルトの祈り の理解に回り道をしたのも、同じ理由からです。

出会えないことが、出会えることと同じぐらい素晴らしいことだと気づくのには、かなり時間がかかりました。

一日、Windowsの修復作業ばかりしていたのですが、Office をインストールしてから Windows Update をすると、パソコンがハングしてしまう症状にずっと悩まされました。諦めてAAミーティングに行ってから帰宅すると、ちょうどそれの修正が自動配信されたところでした。歯車がかみ合わないときとは、そんなものかも。


もくじ過去へ未来へ

by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


My追加